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傷だらけの人生・天下三肩衝茶入/楢柴・初花・新田

●かくれびと
中国の片田舎で生まれたオラが日本に連れてこられてもう600年近くなろうとしている。江戸時代の明暦の大火でオラはばらばらになっただよ。それでも、幕府お抱えの塗師がオラを直してくれて、元の形に見えるようになっただ。しかし、あるお方が幕府のお蔵からオラを持ち出していっただ。これ以降、400年近く、オラはあるところにずーっと隠れているだ。
あん、オラの名前か? むかーしのことだが、オラは「楢柴肩衝」と、いつの日から呼ばれるようになっていただ。なんで、そんな名前になったかという、オラが好き好んで付けただねえ。外側に掛けられている濃ーい茶色の釉から、「濃い=恋」とかけてな、万葉集にある「御狩する狩場の小野の楢柴の汝はまさで恋ぞまされる」という和歌に出てくる「楢柴」を持ち出して、オラのことを言うようになっただよ。オラは日本に来て以来、いろいろなお侍さんに可愛がられた。足利義政、豊臣秀吉、徳川家康などだな。織田信長とは縁がなかった。しかし縁が合ったら本能寺で粉々になってしまったかもしれんな。
それでも、千利休の弟子・山上宗二がオラのことを天下一品と絶賛してくれたことがうれしかっただな。

●三兄弟の流転 初花肩衝の場合
そういえば、豊臣秀吉のところにオラがいたころには、「初花」と「新田」と名付けられたオラと同じ形の肩衝茶入があったんだな。
「初花」はオラの次に良いものとされていて徳川家康に献上されていった。これ以降は、無事に災難に合うことなく大事にされていて、現在は徳川記念財団が東京で保管していると聞ただよ。
まあ、「初花」と名前が付くくらいだから釉薬の景色は実に優美なものだったな。しかし、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人の顔を知っている幸せな奴だ。そういえば、2017年4月に東京国立博物館で開催した「特別展・茶の湯」に連れてこられていたので、久しぶりに奴を見たという人も多かっただろう。

●傷だらけの人生 新田肩衝
オラ以上に波乱の人生を歩んだのが「新田」だった。こいつは豊臣秀吉の死後も大阪城に居った茶入だな。慶長のときについに徳川家康は大阪城を攻めた。後に大坂夏の陣と呼ばれる戦いで秀吉の息子・豊臣秀頼とその母・淀殿が自害し、天守閣は火に包まれただ。城にあった茶道具も燃え尽きてしまっただよ。戦いが終わると、家康は茶道具の回収に動いそうな。幕府お抱えの塗師に藤重藤元・藤厳という親子がいてな、この二人に肩衝を探してくるように命令したらしい。膨大な焼け跡の灰燼の中から、それらしきものを見つけて篩にかけ、破片を繋ぎ合わせて、再現するという途方もない命令だな。オラがそんなこと命令されたら気が狂っちまうだよ。それでも、この親子は木端微塵になった破片を集めて、元の形に再現に成功していたな。この「新田」は現在、名古屋の徳川美術館に居るそうだ。
そういえば「新田」のほかにも藤重親子は「つくも茄子」という茶入も破片を集めて再現したそうだ。「つくも茄子」は秀吉以前は信長のもとにあって、奇跡的に本能寺の変から生還しているからラッキーな奴だな。家康はこの親子に対して、ご褒美として「つくも茄子」はそのまま与えたらしい。そして、後に売り立てで三菱の岩崎弥之助の元に行き、現在は静嘉堂文庫という美術館で安穏としておる。

●楢柴 怒る!
なんか、最近は「信長の野望」というゲームでも、茶入をはじめとして名だたる茶道具が登場しているらしいな。しかし、聞き捨てならないことをオラは耳にしたぞ。オラたち三大肩衝より「つくも茄子」「上杉瓢箪」「珠光文琳」の方が貴重なものとして登場しているらしい。「なんでやねん!」。い、いかん、大阪弁になってしまった。しかし、いかんぞ、それは。
あとな、2017年に「本能寺ホテル」という映画が公開されている。現代と戦国時代を行き来する女性を綾瀬はるかが演じている作品らしいな。この映画のシーンで信長はオラを放り投げとった。「あかんで、それは!」。あっ、また大阪弁になってしまった。
まあ、オラは人見知りだからまだしばらくは隠れていることにしよう。まあ、日の当たるところに出ても、オラが「楢柴」だと、誰も気付くまい。
カッカッカッ(笑い)・・・。いかん、水戸黄門になってしまった。

 

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