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琳派をリニュアルした図案化・神坂雪佳/エルメス・清水六兵衛

●『LE MONDE D`HERMES』 

エルメス。いわずもがもなフランスのファッションブランド。彼女や奥さんから「エルメスのバーキン」などという言葉を聞くと、ぞっとする輩も多いであろう。そのエルメスが発行する雑誌カタログに『LE MONDE D`HERMES/エルメスの世界(季刊)』がある。2001年、その表紙を飾ったアヤメの絵があった。琳派風の図案であるが、光琳や乾山、宗達などではない。その作者は神坂雪佳という明治から昭和期にかけて活躍した日本人である。もちろん『LE MONDE D`HERMES』の表紙に日本人の制作した絵・図案が採用されたことは初めてであり、本誌内でも特集が組まれていたという。 

この神坂雪佳の死後、来年で80年となる。明治、大正、昭和と明治維新後の西洋化・欧米化する日本において、琳派をメインに日本デザインの価値を訴え、そのリニュアルに尽力した神坂雪佳とは、どのような人物であろうか? 

●神坂雪佳とは 

幕末、1862年の京都に雪佳は生まれる。神坂家はもともと武士の家系であり、美術工芸分野の素養がどこにあったのかは定かではない。ただ16歳/1881年のときに京都四条派の画家に学び、絵師の道を歩み始めた。その後、23歳/1890年には図案意匠を学びはじめた。さらに1901年、イギリスの国際博覧会を視察する機会を得て、当時のヨーロッパで流行していたジャポニズムを目の当たりにし、日本美術を改めて再考する機会となった。以降、研鑽を重ねた雪佳の図案は漆器、陶芸、紙工芸などの分野で取り入れられていく。雪佳図案の作品は重要文化財など、特別な保存対象として残されるものではないが、現在でもその図案が採用された工芸品を目にすることができる。 

雪佳が力を注いだのが琳派模様である。もともとは図案意匠を学んだ岸光景という人物が乾山作品をはじめとする琳派作品のコレクターだったこともあり、その図案の魅力に惹かれていったようだ。ただし、その作風は琳派そのものを継承するというより、雪佳の中で利用される対象、たとえば陶器・漆器などそれぞれに似合うような形でリニュアルとオリジナル化させていったようである。 

しかし、雪佳の最晩年は日中戦争から第二次世界大戦へと激動の時代が続き、日本軍による真珠湾攻撃・日米開戦の翌月の正月、京都で死去した。 

●リニュアルされた琳派 

京都・清水焼。京都市内の東方にある清水寺の麓にかつては窯場・工房が数多くあり、ここで焼成された清水焼を販売する店舗が多くあった。店舗こそ今も残っているが、現在では禁止されているが薪を燃料とした窯が数多くあった地域である。人間国宝・近藤悠三、文化勲章・楠部彌弌、河井寛次郎、八木一夫などの陶芸家が作陶していた地域がそこである。その地域に「キヨロク」の名で京都の人々にはなじみの深い清水六兵衛の窯がある。1771年の創業とされているのでのべ250年の老舗でもある。現在では、2000年に襲名した八代目が窯を率いている。その清水六兵衛窯が多少のデザインを変更しつつ、今も作られている皿がある。「狗児」と呼ばれる仔犬の皿である。そのデザインはまさしく雪佳が陶芸のために提供したデザインであった。 

先に紹介した『LE MONDE D`HERMES』の表紙に採用された図案は「百々世草」という版画集の一ページである。これらの図案は比較的簡略されたものであるが、元々雪佳はあの竹内栖鳳栖鳳と同じ京都四条派の画家であり、障壁画や屏風などには秀作が残っている。しかし、雪佳は明治維新後の美術の近代化において、絵画と工芸とのコラボレーションを追求し、両者の融合を画家の立場で推進したフロンティアであった。 

 

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