アフガンの少女
ここのところ連日アフガニスタンのニュースが流れる。宗教や政治の問題は非常にセンシティブだが、命、女性、人権が尊重されない報道に心が痛む。
またアフガニスタンといえば、バーミヤンの大仏が爆破される衝撃的な映像が思い浮かぶ。
バーミヤン遺跡は古代以来の都市であるバーミヤンのヒンドゥークシュ山脈の渓谷地帯、標高2500mの高地に位置する。1世紀から石窟仏教寺院が開削され石窟数は1000以上にものぼり、グレコ・バクトリア様式の流れを汲む仏教美術の優れた遺産とされる。5世紀~6世紀頃に高さ55m(西大仏)と38m(東大仏)の2体の大仏をはじめとする多くの巨大な仏像が彫られ、石窟内にはグプタ朝のインド美術やサーサーン朝のペルシア美術の影響を受けた壁画が描かれた。
2001年にアフガニスタンを支配していたタリバン政権の手により爆破され、遺跡は壊滅的な被害を受けた。大仏のみならず石窟の壁面に描かれた仏教画のおよそ8割が失われたと報告されてもいる。
当時私もあゝなんてことをと思ったものだが、タリバンの文化財保護意識の欠如が強く批判される一方で、内戦中に多くの餓死者が出ていたアフガニスタンに対して国際社会が無関心であったことを批判する者もいたという。イランの映画監督の作品『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』では100万人の餓死者よりも、一つの仏像の破壊が、世界に注目されたことへの苛立ちを表明しており、そういう見方もあるのだと思わされた。
そして、いまひとつ私に思い浮かぶのは陶芸家であり青磁で人間国宝(重要無形文化財)になられた三浦小平二氏の作品「アフガン少女」だ。明るい青磁に紅い民族衣装を着たアフガン少女の図が豆彩で描かれている印象的な作品である。
三浦小平二氏は1933(昭和8)年、新潟県佐渡に生まれた。実家は明治初期以来の窯元で、祖父は三代三浦常山、父は小平窯の三浦小平という陶芸一家。佐渡金山の採掘で掘り出される、酸化鉄を含む赤土を原料に焼く無名異焼を家業としていた。
「これからの陶芸家はデッサン力や造形力が必要」という父の助言で、東京芸術大学美術学部彫刻学科に入学。卒業後、家業に従事したが、職人に徹することを求める父と折り合わず島を飛び出した。
他に類のない「三浦小平二の青磁」を確立しようと東洋陶磁の基礎釉の研究を始め、試行錯誤の日々を過ごした。新展開を求め海外取材を決行。1969年に中近東や東アフリカ、1978年に中国・モンゴルなどアジア各国を巡り、各国の磁器の研究や自らの作品への投影に励んだ。そして南宋官窯の青磁を範とした陶胎による美しい二重貫入の生じた青磁と、青磁に色絵を組み合わせた磁胎による作品を生みだされたが、これら二つの傾向の作品は、青磁の世界に新境地を拓いたものとして高く評価されている。
三浦先生が東京芸術大学陶芸科教授をされていた頃、仕事の関係もありお話しを伺ったことがある。
「台湾の故宮博物院を訪れ、中国宋代の官窯青磁を手に取って調べる機会に恵まれた時は愕然とした。その青磁に使われていた土は、なんと故郷、佐渡の土と酷似していた。無名異こそ、自らが目指す青磁に欠かせないものだった。自分が捨てた故郷に救われたんだ」とおっしゃっておられた。
その青磁作品は造形にオリエンタルな風情も生かされ、とても素晴らしいものだ。
そしてまた、青磁の肌に白磁の余白部分を作り、そこに豆彩技法で絵付けを行う独自の作品は、砂漠でみたオアシスの景色からインスピレーションを得たともお聞きした。青い空と青い湖の間に挟まれた景色ということだろう。
豆彩作品は他にも中近東やアフリカ、中国などで写生したモチーフの水甕を頭にのせて歩く女性やラクダなど、愛らしい図柄があり青磁と絵画の融合は人気となる。
ただきくところによると、当初青磁に絵付けをするなんて評論家からは邪道だと叩かれ、全く売れなかったらしい。たまたま電車でご一緒になった時は、「この頃の芸大に入ってくる生徒は親御さんともども、陶芸で食えると思って入学してくるから驚くよ」と話されていた。
確かに先生の奥様は国立で幼稚園をされ物心両面で支えておられた。陶芸家の妻はなにかと内助の功が必要で大変かと想像するが、とても素敵な温かい笑顔の奥様であった。
残念ながら先生は2006年73歳でご逝去され、その年の伝統工芸展でご遺作を拝見したときは会場で涙ぐんでしまったことを思い出す。
昨今は陶芸家が亡くなられると作品の市場価値は下がるのが普通だが、作品価格が下がらない、下がらないどころかプレミアがつく現在では稀有な作家となっている。
そんな思い出がある三浦小平二作品「アフガン少女」である。
尊敬する写真家長島義明氏が、かつて旅したアフガニスタンの人々の日常や文化、風景などをテーマにした写真展を以前拝見した。その貴重な写真を今回お借りすることができ、感謝。
また自由に旅ができるのはいつのことか。一日も早い平和がかの地に訪れることを祈る。