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絶対非演出の絶対スナップ・土門拳/古寺巡礼・室生寺・平等院鳳凰堂・ヒロシマ・筑豊の子供たち

●「拳」を名前に持つ男 

ここに図録に書かれた署名がある。縦幅いっぱいに書かれた「土門拳」の文字。 

「拳」。力強い名前だが、実際に生まれた子供につける名前としては勇気がいるのではないか?俳優に「緒形拳」がいる。しかし、本名ではない。芸人では「鉄拳」がいる。もちろん、本名ではない。 

平成から令和となった現在では知る人も少なくなったが、昭和期の代表的な写真家が土門拳である。木村伊兵衛という先達がいて、日本写真家の巨匠というとこの二名をあげる人も多い。今日でも、多数の写真家がさまざまな活動をしているが、この二名のほかには実績として評価される写真・撮影テーマを持つ写真家は少ない。というのは、今や写真の価値は撮影した写真家から、俳優・モデル・アイドル・歌手などといった被写体に移ってしまったからである。 

今回は、自から課したテーマをひたすら追い続けた写真家・土門拳の生涯を振り返る。 

●写真家・土門拳 

土門拳は1909年、山形県酒田市で生まれた。高校、大学(中退)と青年時代には考古学、油彩画、三味線などさまざまなものに取組んでいる。第二次世界大戦前には農民運動に加わり、検挙されたこともあったという。写真家としての道に編み出したのは 1933年、遠縁の写真家の内弟子となったことがきっかけで、その後、日本工房という写真撮影の企業に入社している。日本工房での仕事で力をつけ、独立後、さまざまな仕事を得て、知名度が高まる。戦後、広島の取材、筑豊炭鉱の労働者とその家族を撮影して、高い評価が受けるも、脳出血に見舞われて半身不随となる。しかし、不自由な体をおしてライフワークとなる寺院・仏像を撮影し、名声を不動のものとした「古寺巡礼」を完結。1963年から発行され第五集まで続く大作となるも、途中、第三集完成後の1968年に再度脳出血が起こり、車椅子での生活を余儀なくされる。リハビリを経た二年後には撮影助手を携えて撮影は続けていたものの、1979年に脳血栓が発症して昏睡状態となり11年後に再び目覚めることなく心不全で他界した。 

●古寺巡礼 

先に述べたように、土門のライフワークであり、車椅子生活になってもなお、撮影を続けた対象が寺院であり、仏像であった。著名な写真は1961年に撮影された京都・宇治平等院鳳凰堂の写真。夕景の平等院で撮影を終了させ、機材を片づけ始めた時に、振り返った屋根の鳳凰の姿がまさに飛び立とうする瞬間に思えてシャッターを切ったものであり、その一枚を撮影した後に鳳凰は夕闇にまぎれてしまい、続く一枚は撮影できなかったという。 

そもそも、古寺巡礼として撮影が開始されたきっかけは、1939年に奈良の室生寺を訪ねたことに始まる。平安時代の仏像が数多く祀られているこの寺院に魅了され、その後も幾度となく訪ねた。ただ、一連の「古寺巡礼」の撮影が完了した後でも、室生寺には取り損ねていた一枚があったという。当時の住職が「第一等」と評した雪景色の室生寺である。雪景色の室生寺を撮影できずに年は過ぎていったが、昏睡状態となる前年の1978年二月、土門の姿は室生寺にあった。土門は奈良の病院と室生寺門前の旅館を行き来しながら雪を待つ。撤収も考えて「あと一日」と滞在を伸ばした3月12日の朝、ついに室生寺は雪をまとった。午前中には消えてしまう可能性があり、旅館から助手が車椅子のまま土門を担いで境内に行き撮影は完了。その一枚は「女人高野室生寺」という写真集に収められて、40余年にわたる室生寺の撮影は完結した。しかし、その完成を待つかのように、翌年に土門は永い眠りに落ちた。 

●絶対非演出の絶対スナップ 

前述のように、病後は撮影の際に肉体的に大きな制約を受けることになった。しかし、それ以前は「写実」「リアリズム」を追求した写真に取組み、テーゼとして挙げた言葉が「絶対非演出の絶対スナップ」であった。実際にその現場にあるものを訪ね、その瞬間をひたすら待って撮影することに徹していた。人物を撮影するときでもなかなかシャッターを切らない。現在なら、こういう仕草、ポーズとカメラマンから声をかけるのだが、土門はシャッターをきるにふさわしい瞬間が訪れるまで、ひたすら待つのである。数多く撮ったシーンのなかから一つを選ぶという現在のカメラマンとは全く逆のスタイル。この一枚と思う時にだけシャッターを切るのが土門である。そこに「絶対非演出の絶対スナップ」がある。 

作為でないから真実の一枚がそこにある。こうした撮影姿勢は、写される者にとっては苛立たしく思える瞬間があったようで、画家・梅原龍三郎は撮影中に苛立ちを隠せず椅子を床に投げつけたという逸話はよく知られたことである。一方、彫刻家で詩人の高村光太郎は「土門拳のレンズは人や物のこころまで暴く」とその撮影スタイルと撮影された写真を評した。 

今日、カメラは「写真」から「動画」へと技法が移り、「写したいもの」から「見せたいもの」とその対象が移った。また多数の視線が注がれるものは、いまや写真家の写真集でなく、専門家以外の者が撮影したInstagramやTikTokである。カメラが開発されてから約200年、専門写真家の影が薄くなり、総カメラマンの時代となっている。それでも、被写体の過去・現在・未来そして裏側・内部まで感じられるような一枚の撮れる写真家の登場が待望される。