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板谷波山

近現代陶芸家の最高峰   板谷波山

陶芸は非常に身近な存在ですね。
世界中に陶芸は存在しますが、英語では磁器のことを原産国にちなみ、チャイナChinaとも呼ばれていたりもします。
日本でも古くからの歴史があり、世界に向けてその窯や種類の多さは陶芸大国ニッポンといって許されるのではないでしょうか。
では、現在陶芸作品が国宝、重要文化財の指定を受けた作家は何人位でしょう?
多くはありません。
少し前に調べたことがあり江戸期以降では本阿弥光悦、野々村仁清、尾形乾山、青木木米、楽長次郎、宮川香山、板谷波山の7人しかいませんでした。
縄文時代からの長い歴史をもちますが、「職人」ではない「芸術家」としての「陶芸家」が登場するのは近代に近くなってから、作家という認識が江戸時代まではなかったからといえます。
今日はまず、近現代陶芸家の最高峰といえる板谷波山のことをご紹介したいと思います。
その作品がオークションに出品されましたら、作品によりますが、何百、何千万単位以上の取引になる作家です。

板谷 波山(いたや はざん、1872年〈明治5年〉 – 1963年〈昭和38年〉は、明治後期から昭和中期にかけて活動しました。
本名は板谷 嘉七(いたや かしち)。号は、のちに「波山」。「波山」は故郷の名山である「筑波山」に因みます。
茨城県真壁郡下館町に生まれ、幼少の頃より自らの力で作家としての活動をすることを夢見て東京芸術大学に入学。
その後、石川県工業高校に赴任し陶磁器の研究を開始。教職を辞し陶芸家を決意、東京都の田端に築窯します。

波山の作品には青磁、白磁、彩磁(多色を用いた磁器)などがありますが、なんといっても特筆すべきは独自の創案による葆光釉(ほこうゆう)という釉(うわぐすり)です。
「葆光」 とは光を包み隠すという意味だそうで、文字通り、柔らかいベールで光を包み隠しているような独特な光沢を放つのが特徴です。
美術学校時代に習得した彫刻技術を生かし模様を薄肉彫で表した後、繊細な筆で絵付けをし、全体をマット(つや消し)の不透明釉で被います。
有田焼のようなツヤツヤした磁肌もいいですが、葆光彩磁の磁肌は、朝の爽やかな空気をまとっているようで、どこか自然の優しさのようなものが感じられます。
従来の色絵磁器とは異なったソフトで微妙な色調や絵画的・幻想的な表現が可能になり、それまでにない近現代に相応しい作品となったのです。

1934年(昭和9年)に帝室技芸員。
1953年(昭和28年)には陶芸家として初めて文化勲章を受章。
1960年(昭和35年)に重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)の候補となりますが、これは辞退しています。
「自分は単なる伝統文化の継承者ではなく、芸術家である」という自負が辞退の理由であったと言われています。
2002年(平成14年)、「珍果文花瓶」が国の重要文化財に指定されました。

製作は困難を極め、極貧の生活が続いたこともあったそうですが、その作品を前にすると日本人として誇りを感じます。
実際に扱ったこともありますが、造形や色彩に完璧を期した格調高いものでした。
コレクションとして出光美術館、茨城県陶芸美術館をはじめとし、国の美術、博物館などあちこちに収蔵されています。
機会ありましたら実物をぜひご覧になっていただきたい。
『陶芸』に対しての世の中の認識を変え、芸術の域にまで高めようと自らの信じる道を貫いた波山の生き方にもまた思いを馳せていただけたらと思います。

最後まで、ご覧いただき誠に有難うございました。