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日本を旅する版画家

北アルプス・白馬岳。標高は2932メートル。長野オリンピックの白馬ジャンプ台奥の山岳である。付近にはスキー場も数多くある。 

その白馬岳の谷あいに「白馬大雪渓」がある。真夏含めて一年を通じて雪が残る谷筋である。ただし、高地とはいえ、雪解けはすすむ。実は、夏を迎えると雪渓は雪のトンネルとなっており、その内側底部を雪解け水が流れている。中央部ほど薄くなってくるため、雪渓歩きは両側部・外側を登るのが安全策となる。白馬岳の登山ルートのひとつに、この雪渓上を歩くルートがある。「アイゼン」という滑り止めの歯を靴底に取り付け、雪渓上を登る。「シャクシャク」と、かき氷をかき混ぜるような音が足元から聞こえる楽しいルートであるが、落石が発生しやすく、過去には落石に巻き込まれた死亡者もいたので、油断はならない。 

ここに白馬大雪渓を描いた版画がある。 

作者は「新版画」として現代の浮世絵を創作した川瀬巴水。 

「旅みやげ第三集」という版画集に含まれる一枚。昭和7年の作品だという。 

この版画を見ると雪渓自体の姿は現在もほぼ変わらない。「白馬尻」という雪渓末端の地点付近から雪渓上に入るのだが、この版画に描かれた人物たちもその取りつきから登り始めている姿を描いている。ちなみに近年、温暖化や多雨の影響で、夏季の雪渓崩壊が激しくなり、この版画のように上部まで登り切れる期間は昔より短くなった。昨年8月中旬、編集子が登った際は雪渓上を歩ける部分はかなり少なく、雪渓の一部を横断する程度のルートに変更されていた。この版画の原画が描かれた時期は不明だが、当時と比較すると、現在の雪の量はかなり少ないはずだ。 

実は「旅みやげ第三集」にはもう一枚、この製作工程と同時に描かれた作品がある。「白馬山(岳)より見たる朝日嶽(岳)」という作品だ。朝日岳は富山県と新潟県にまたがる山で、蓮華温泉という麓の小さな温泉を起点として、朝日岳と白馬岳を巡る登山者もいる。 

ということは、川瀬巴水も白馬岳を登山し、山頂までたどり着いていたのである。 

現在、バスでアクセスできる登山口の「猿倉」という場所から山頂直下の山小屋・白馬山荘(なんと明治38年開業!)までは休憩を除いて5~6時間の行程だが、当時の登山口はこの猿倉より手前だった可能性もあり、巴水は現在より長い全行程を歩き、登ったかもしれない。アップダウンの繰り返しこそないが、ひたすら登りが続くルート。「ひーこら言いながら登っただろうな」と自分の姿を重ね合わせる。 

「旅みやげ」という巴水の版画集は一から三までのシリーズとのことである。 

元々は、伊藤深水の元で美人画を学んでいたが、風景版画に転身し、日本各地を巡って描いた作品が「旅みやげ」であった。 

川瀬巴水といえば「東京二十景」という版画がよく知られており、特に「増上寺の雪」が人気の作品であることは、日本画・版画愛好家の異存はないであろう。東京の出身者または在住の人々には、現在の景色と重ね合わせながら、東京を描いた「東京二十景」の作品たちに郷愁を覚える。 

この「増上寺の雪」からは「シーン」という音にならない音が聞こえそうだ。 

現在の増上寺門前は日比谷通りが通る。雪の日でも自動車の往来は激しく、騒音に飲み込まれ、作成当時の風情はなくなってしまったであろう。 

巴水の版画にはこうした雪景色が多い。また月夜、夕景なども多い。 

静かなる景色である。 

当社でも、「春の雪 京都清水」という作品を譲り受けたことがある。 

清水寺本堂の大舞台に佇む人。先に見える八坂の塔も雪の中。 

静かなる景色が広がる。 

「シーン」と聞こえる。 

巴水はテレビ中継などない時代に、日本全国を訪ね歩き、その景色を市井の人々に届けていた。現在、巴水の作品は国立国会図書館などのデジタルデータでインターネットを通じて、誰もが目にすることができる。コロナ禍のいま、巴水の版画を通じて日本各地の景色を楽しむことも一興であろう。 

川瀬巴水の墓は東京・世田谷区の万福寺にある。 

墓碑には「旅情の版画家」と刻まれている。