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吾輩はセロである/熊谷守一

●セロ弾きのモリ 

吾輩はセロである。残念ながら同じ四弦の楽器のバイオリンに知名度では負けてしまう。吾輩たちを世間ではチェロとも呼んでいる。しかし、吾輩は宮沢賢治の童話「セロ弾きのゴーシュ」によって、セロという呼び方が有名になったので、敬愛を込めてセロと自称する。 

吾輩は暗い部屋の片隅にずっと置かれている。それではどこかわからないというのか。しからば、言ってやろう。郵便番号171の0044、東京都豊島区千早2の27の6だ、これでわかるだろう。なに、余計にわからなくなったと。簡単に言えば豊島区立熊谷守一美術館の一階展示室だ。 

吾輩はもともとの主、守一に気に入られて弾かれていたのだ。ここの主は変った画家であった。この場所は守一の自宅敷地であったが、亡くなる前の30年ほどは敷地外にでることはほとんどなかったのだ。 

守一は朝起きて朝食を摂ると、夫人に「行ってきます」と声をかけて、家から庭に出て、虫や動物を見て回る。猟師のような、尻皮という尻当てを腰に巻き、石の上に座ってひたすら虫の動きを見ている。「蟻は二番目の足から動き出すことを発見した」と自慢していたこともあったな。 

守一の仙人のような異様な風貌と自宅敷地内で終日過ごす姿を目にしていた周りの住民も著名な画家と気づいてから、熊谷家の表札がよく盗まれていたな。独特の書体でもあるし、自筆のものだから、高く売れたとか・・・。はじめは表札らしい長方形の木片に書いていたが、あまりにも盗難にあうので、ついには菓子折りのうすーい木の蓋に名前を書いて貼っていたこともあったな。 

なにっ、吾輩の弦が外れているのでなおしてやろうかと。ダメだっ、吾輩にふれては、イカン。一番左の弦は4弦・C線というのだが、守一はこのはずれた弦のまま吾輩を弾いて楽しんでいたのだ。ときどき美術館の来観客が吾輩を見て「あれー、弦が外れているから直しましょうかー」などと言っているのを聞くと、吾輩はヒヤっとするわい。吾輩はこの美術館ができてから、ずっーと守一が弾いていたままの姿でここに座っているのだ。だから、このままでいいのである。 

今、この美術館は守一の次女、榧(かや)が館長をしている。もともとは、榧が私設で開設した美術館であったが、建物含めて絵画は豊島区に寄贈してしまった。そして吾輩も豊島区のものとなったわけだ。榧が若いころはスキーやら登山やらをしながら活発に絵をかいていたようだが、もう90歳を超えている。守一も長生きしたほうだが、榧にはまだまだ元気でいてほしいものだ。 

●守一と猫 

守一は動物や昆虫が好きで、さまざまな絵を描いていたが、特に猫はよく描いていたな。「猫は人に対して気をつかわないところがいい」と、その奔放さを好んでいたが、猫に自分の姿を重ねているようだったな。 

飼い猫というより、野良猫が勝手に住み着いているだけなので、特に手なずけようとしていたわけではないのだが、守一の隣で安心して寝ている姿はよく見かけたな。安心していた、といえばカラスだって頭の上に止まらせていたのだから、この人はスゴイと、見ていて思ったよ。 

守一が亡くなってからもう40年も過ぎて、往時を知る人も少なくなってきたな。ただ、2018年に「モリのいる場所」という映画ができていて、守一の生活が家屋とともに再現されていたよ。守一の風貌や生活の様子、家の雰囲気をうまいこと描いていた映画だと思ったな。主演は守一役に山崎努、夫人の秀子役に樹木希林が演じてくれていた。樹木はこの映画が公開された年の9月に亡くなってしまった。永年闘病していたようだから、仕方なくも思えたが、最後までいろいろな映画に出続けてくれたので、とても残念だったな。実は、この映画の冒頭でアトリエの様子が再現されて撮影されていたが、吾輩もちょっことでておる。もっとも、吾輩そのものではなく、他のセロだったのだが、それでもよしとしょう。