• 店舗ブログ/更新情報

薩摩切子にはどのような歴史がある?誕生から現在に至るまで


日本で生まれたカットガラスの最高傑作、薩摩切子。ロックグラス、冷酒盃などで人気のガラス器ですが、現在の鹿児島県・薩摩藩の地で江戸時代末期に生まれ、明治維新後にはその技術が一旦途絶えた幻のガラス工芸品です。現在、その当時の技術が研究により解明され、復興されましたが、発祥当時の薩摩切子は現存数が大変少なく、貴重なものです。和骨董・美術品コレクター垂涎の的、薩摩切子の特徴や鑑賞ポイント、その魅力を今回はご案内いたします。

 

薩摩切子とは?

まばゆい光を放つカットガラスの逸品、薩摩切子とはどのようなものでしょうか。まず初めにその特徴をご紹介します。


●そもそも「切子」とは?

切子(きりこ)は、ガラスなどの素材に模様や彫刻を施し、その表面を切りつける技法やその製品を指します。この技法は、ガラス製品に美しい模様や彫刻を加えることによって、光を反射させて輝きを生み出すために行われます。現在では、後段で紹介する、籠目紋、魚子紋、霰紋に加え、輪結び文、菊花紋、麻の葉紋など模様のバリエションが増えるとともに、現在では花や風景など絵画的な表現も行われています。
ヨーロッパでは、切子はカットガラスと呼ばれており、この技法は18世紀から19世紀初頭にかけて特に流行したガラス技法だったようです。

●薩摩切子の特徴

薩摩切子の特徴として「ぼかし」が挙げられます。「ぼかし」は硝子の切子技法において、特定の箇所をぼかす手法を指します。透明なガラスに色ガラスを被せて削りとることで生まれる独特のグラデーションで、切り口に色の付いた部分と透明な部分が生まれます。透明な硝子の中にあるデザインや模様がより柔らかく、滑らかに見えるようになる技法として、注目されるポイントです。
なお、江戸時代末期から東京で作られている切子に江戸切子があります。透明のガラスと色ガラスのコントラストがはっきりしていることが江戸切子の特徴です。もともとは「ぼかし」のない、すっきりとしたデザインが特徴でしたが、近年の江戸切子ガラス工芸家は薩摩切子の特徴である「ぼかし」も用いられるようになっています。ただし、被せる色ガラスは、江戸切子より薩摩切子のほうが厚いようです。

  

薩摩切子の歴史

ここでは、薩摩切子はどのようにして生まれ、なぜその技術が途絶えたのでしょう。また、江戸時代末期の発祥から第二次世界大戦後、復興の歩みを始めるまで、薩摩切子の歴史を振り返ります。

●誕生|江戸時代末期
1846年(弘化3年)、現在の鹿児島県である薩摩藩において10代藩主の島津斉興は製薬事業を始めます。そのためには薬品の実験にも耐え得る強いガラス器が必要であり、江戸からガラス職人を招き、ガラス器の製造を始めました。次の11代藩主・島津斉彬の時代には西洋世界との交易品や大名への贈答品としてガラス器・薩摩切子の製造が奨励され、薩摩藩においてガラス製造が急速に発展しました。当時の薩摩藩は工場群・集成館で象徴される殖産興業として、西洋の技術や文化を取り入れた産業を奨励していました。斉彬は藩の近代化を推進することに積極的であり、ガラス製造では西洋の切子技術を研究し、薩摩切子独自の技法開発にも努めた言われています。
その当時最先端の技術を駆使して製造された薩摩切子ですが、NHK大河ドラマの主人公としても知られた『篤姫』が将軍家へ嫁ぐために江戸に向けて出発する際、父・斉彬が薩摩切子の酒器を嫁入り道具として持たせた、との逸話も残されています。

●途絶|明治維新後
1858年(安政5年)に斉彬は急逝しました。さらに幕藩体制が崩壊した明治維新後にはガラス工場を火災で消失しています。これらを契機に薩摩切子は一気に衰退します。西南戦争終了時の1877年(明治10年)ごろには、薩摩切子の製造や技術も途絶えてしまいました。鹿児島でのガラス製造は30年あまりで終焉を迎え、以後”幻の切子”と呼ばれるようになってしまいました。

●復興|戦後
昭和25年ころから薩摩切子の復興が求められ、再び脚光を浴びるようになりました。江戸時代の資料や残された作品を参考に、伝統的な技法の復元が研究され、復刻・再生産されるようになりました。その後、新しいデザインや技術を取り入れ、薩摩切子の魅力が再発信されています。近年は伝統的な技法を受け継ぎながら、新しいデザインや技術を取り入れた薩摩切子が注目され、現在では鹿児島県の伝統工芸品の指定を受けています。

  

代表的な薩摩切子のカット

一度でも手にされた方はお解りだと思いますが、薩摩切子の模様は、その独自性と美しさが特徴的です。一般的に、以下のような模様が見られます。

●籠目紋
籠目紋は、模様が細かい格子状に配置されているデザインです。これは、まるで籠目や編み目のような模様を指します。薩摩切子の代表的なカット模様です。

●魚子紋(ななこもん)
魚子紋は、魚の卵(魚子)のような小さな円が連続して配置されているデザインです。各円が密集しているため、まるで魚の卵が集まったような印象を与えます。透明感と色彩の美しさが際立つ技法です。

●霰紋
霰紋は、氷の粒子である霰が降り積もった様子を表現したものです。霰模様は小さな円が繰り返され、表面に広がります。細かいカットで、繊細な美しさが魅力です。

  

薩摩切子の価値が高い理由

作品の美しさはもちろんですが、なぜ薩摩切子は希少性があり、価値があるのでしょう。その理由をあげてみます。これが解ると、購入するときの価格やお持ちの作品の価値にも納得いただけるはずです。

●原材料が高い
まず、良質な材料で薩摩切子が作られていることがその一つです。透明度が高く、美しい輝きが特徴のクリスタルガラスを使用しています。クリスタルガラスは、ソーダガラスやカリガラスに鉛を加えたガラスであり、その透明感から普通のガラスよりも価値が高いものです。フランスのクリスタルガラスメーカーのバカラ製品でもこうした特徴があります。さらに薩摩切子では赤や金赤など重ねる色ガラスには金や銀などの貴重な鉱物が使用されることがあり、これもその特徴の一つです。

●熟練した職人の手作業で作られている
成形からカット、研磨まで、すべて職人の手作業で作られているのが薩摩切子です。特にカットは細かい模様を繊細に表現するため、熟練した技術が必要とされています。カット自体は、一度きりでやり直しが効かないため、注意を集中させなければならない大変な技術です。

  

現代まで脈々と伝わる薩摩藩の偉大なる歴史遺産 薩摩切子

 
江戸時代末期に生まれた薩摩切子は、材料や用いられる技術の高さにより、非常に高価なガラス器として現在も流通しています。さらに、幕末から明治初期における薩摩切子創成期の作品は「古薩摩切子」と呼ばれ、現存するものが極めて少なく、さらに貴重なものであり、古美術・骨董市場では高額の取引となるものです。
切子/カットガラスの技術が冴えた薩摩切子はいつまでも身近においておきたい逸品です。ただ、もしもお手元にある薩摩切子を手放そうとお考えでしたら、ご売却のご相談は、ぜひ骨董品買取のこたろうまでお問い合わせください。

  

骨董品買取こたろう|確かな目利きで高額査定
薩摩切子をはじめとする、骨董品・美術品の査定のご相談は、高価買取で評判のこたろうへ下記からどうぞ。
URL: https://kotto-kotaro.com/contact/