帝国ホテルと土管とトイレと急須と・常滑焼/フランクロイドライト・鯉江方寿・三代山田常山
●帝国ホテルのレンガ
1890年開館の東京・帝国ホテルは1919年に火災で焼失している。新館として焼失前から建設に入っていたホテルの設計には、アメリカ建築界の巨匠であるフランク・ロイド・ライトに依頼していた。細部までこだわりを持ったライトにより予算は当初の六倍にまで膨れ上がり、最終的に経営陣と対立した結果、ホテルの完成前にライトは手を引いた。しかし、1923年の全館完成直後に関東大震災が東京を襲った。周囲の建物が火災で焼失する中、ライトの指示した耐火材を多用した帝国ホテルは最小限の被害に留まっている。
この帝国ホテルに使用されている外装タイルは愛知県の常滑で焼成されたものであった。当初は、常滑の委託工場での生産を試みたタイルであるが、納品の遅れから帝国ホテルは自ら専用のタイル工場まで設立して供給を続けたという。ここでライトが指示したタイルは黄色みかがった縦筋の入ったものであったが、色見本に似合うタイルは製造が難しく、焼成技術の確立にも時間がかかっている。ちなみに、当初このレンガ製造を委託された人物は久田吉之助といい、2019年のNHKドラマ「黄色い煉瓦」で当時の模様が紹介されていた。
●便器の製造
帝国ホテル用の煉瓦製造のために設立した工場は、帝国ホテル煉瓦製作所という法人組織であったが、帝国ホテルの完成をもって解散されている。この工場に技術顧問として招かれた陶工に伊奈初之烝・長三郎という親子がいる。
工場解散後、子の伊奈長三郎は常滑で製陶工場を起業し、タイルメーカーとしてスタートを切っている。これが後にINAXというトイレの一大ブランドを持つ伊奈製陶株式会社である。第二次世界大戦後、トイレなどの衛生陶器に進出し、同時期にTOTOブランドの東洋陶器株式会社と熾烈な市場競争を展開することとなる。しかしながら、この両者とも設立に際しては、ノリタケという食器ブランドを持つ森村グルーブの支援を受けている。この森村グルーブは日本碍子、日本特殊陶業、さらには高級食器の大倉陶園などを含む巨大製陶企業のグループであった。ただし、INAXは現在、トステムという建材メーカーを中心として設立されたLIXILというグループに参加しているので、森村グルーブに残るTOTOとは真のライバル関係が現在も続いている。
●常滑の土管と急須
江戸時代・幕末から明治にかけての常滑の陶工に鯉江方寿がいる。明治時代になり、都市の近代化に伴い上下水道に用いる土管の需要が高まった。当初、明治政府は輸入の土管を使用していたが、輸入の土管では需要に追い付かなくなった。その結果、常滑焼で樋を製造していた鯉江に声がかかる。鯉江は常滑焼のリーダー的存在であり、土管製造を軌道に乗せ、常滑に活況をもたらした中興の祖である。
鯉江は商才にも優れ、輸出用陶器も手がけている。「朱泥龍巻」と呼ばれた、石膏型で龍の装飾を作り、壺などの陶器に飾りとして張り付けられた作品は神戸を経由して、欧米へと輸出されていたという。
さらに今日の常滑焼において鯉江が貢献したことは、急須づくりの普及拡大である。鯉江は清朝末期の文人で宜興窯の茶器製法を知っていた金士恒という人物を常滑へと招聘し、陶工にその技法を伝習させたという。現在でも多くの方が目にしたであろう朱色の急須のルーツはここにある。そして常滑焼と言えば、この朱泥急須を連想する方も多いと思う。
●人間国宝・三代山田常山
毎年9月、東京・日本橋三越を皮切りに全国を巡回する日本伝統工芸展が開催されている。陶芸・漆芸・木工・染織・人形など日本で伝統的に伝承されている技術を使用した工芸品の展覧会で、昨年で68回を重ねた伝統工芸士にとっての一大イベントである。伝統工芸ではあるものの、民芸とは異なるスタンスで作品が作られているので、必ずしも実用性は問われていない。その結果、陶芸部門でいえば表彰対象となる作品は50cm程の大きな鉢などが近年は続いている。その中で、過去、小さな急須ばかりを毎年出品してくる陶工がいた。彼こそ人間国宝となった常滑焼の陶芸家・三代山田常山である。
初代常山は鯉江の元で急須づくりを学んで独立している。その孫が三代常山である。三代常山は祖父・父と伝統的な技法を引き継ぐとともに、モダンな作品も取り入れていった。
1989年、常滑焼・急須で人間国宝の指定を受け、2005年に逝去。先にも過去にも急須での人間国宝指定は、三代常山だけである。
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