浮世絵の美人画とは?美人画の魅力や歴史、有名作家・代表作

今年、NHK大河ドラマ「べらぼう」で取り上げられた物語は、江戸時代の版元、蔦屋重三郎の活躍を描いたものです。18世紀の江戸時代中期、天下泰平の世で江戸の文化が発展してきたころ、この蔦屋重三郎は、喜多川歌麿、葛飾北斎、東洲斎写楽たち浮世絵師を江戸の世に送り出したプロデューサーでした。その当時の出版物で人気があったのは浮世絵の美人画です。また、日本のみならず世界で開催される浮世絵の展覧会は、展示テーマとしても、コレクターによるコレクションの紹介でも常にに人気を集めています。今回は、現在も人気がある浮世絵の美人画についてご紹介します。
浮世絵の美人画とはどのようなもの?
浮世絵は写真がない時代、その頃の流行しているのや人気の人物や景色を描いた、いわば現代の写真誌のようなものでした。その中でも美人画は人気があるジャンルで、遊女や芸者、町娘、貴婦人などの人物そのものに加えて、当時の女性たちのファッションや流行を知る情報誌的な役割も持っていました。はじめに浮世絵の美人画とはどのようなものか、についてご紹介します。
●女性の美を主題としたもの
浮世絵の美人画とは、女性の容姿だけでなく、内面の美しさも含めて表現した絵画としてつくられていると言われています。江戸時代の日本において、女性の美を主題とした浮世絵のジャンルのひとつで、とくに江戸や大阪の町民に広く受け入れられました。
●時代の流行や文化が反映されたもの
美人画は、浮世絵の中でも特に女性を描いた作品のことを指しており、前述のように、女性の姿を描くだけでなく、ファッションや生活様式などを映し出していました。そのため、現代でも江戸時代の人物や風俗を理解する手がかりとして貴重な資料とも言えます。また、名所絵などの風景画でもそうした情報が得られています。
●様式化された表現が用いられたもの
浮世絵の美人画は、モデルとなった女性個人に似せて描くことはほとんどなかったようです。美人画は、浮世絵師(絵師)の理想を具現化したものであったためであり、モデルの美人は、どの浮世絵師の様式で描かれているかということが重視されていたようです。
浮世絵の美人画の魅力や歴史
浮世絵の美人画は現代の古美術市場において、高額で取引されているものが多くあります。では、現代人をも惹きつける浮世絵の美人画の魅力はどこにあるのでしょうか?
●浮世絵の美人画の魅力
浮世絵では、性別にとらわれず、理想化された人物表現を追求していました。評判の町娘や遊女、若衆と呼ばれる若い男性などが描写されていました。
一見すると、浮世絵特有の描き方で、どの顔も同じと思われがちだが、よく見るとそれぞれの個性が、繊細な表情によって描き分けられていることが理解できます。また、浮世絵の美人画は、顔立ちだけでなく柔らかな手の動きなど豊かな表現も、その画風によって楽しむことができます。
●浮世絵の美人画の歴史
美人画は江戸時代前期から好まれるようになりました。17世紀半ばに「寛文美人図」とよばれる風俗画が描かれ、後の美人画に大きな影響を与えました。寛文美人図とは、掛け軸に立ち姿の美人を単独で配置したもので、その様子から一人立美人図とも呼ばれている女性像の絵画です。ほとんどが、無名の町絵師によって描かれたため、作者の判明できる作品は少なくなっています。
18世紀後半になると、美人画が確立されてきます。吉原などの遊女が描かれるようになりました。実際に存在する遊女が、名前とともに描かれるようになりました。さらに、水茶屋といわれる休憩所で接客する看板娘が描かれるようになっています。この美人画は、観賞用としてだけでなく看板娘の存在が店の売り上げに直結するためこれは、コマーシャル的な役割も担っていったと言われています。美人画がブームとなった時期ですが、武者絵・武将絵・合戦絵、役者絵、春画、錦絵と呼ばれる多色刷などの一枚もの、または版本の挿絵として、浮世絵が大きく発展していった時代です。
18世紀末になると自由に浮世絵を発行できなくなりました。幕府の寛政の改革によって美人画は「風紀を乱すもの」として検閲されたためとのことです。遊女以外の女性の名前を画中に記すことが禁じられ、その後、判じ絵(絵で表した謎解き)で名前を記した作品が制作されていたが、この判じ絵も禁じらてしまいました。浮世絵師たちは、刑罰として手鎖を課せられた時もあったようです。
こうした規制で衰退した美人画ですが、浮世絵師たちは工夫を凝らして描き続け、江戸時代後期には再び美人画が再び人気を取り戻します。歌川国貞(のちの歌川豊国)や渓斎英泉など、幕末にかけて新たな美人画の流れを作る絵師たちが登場し、明治時代には海外でも高く評価されるようになりました。月岡芳年、楊洲周延などもその代表です。発行禁止になった時期はあったものの、美人画の文化は決して消えず、むしろその抑圧を乗り越えて、より豊かに発展したArtと言えるでしょう。
浮世絵の美人画の有名作家と代表作
ここでは美人画の浮世絵を描いた作者について、紹介していきます。
●菱川師宣(ひしかわ もろのぶ)「見返り美人図」
菱川師宣(1618-1694)の作品で、肉筆画です。肉筆画・肉筆浮世絵とは、絵師が筆で直接描いたものです。
歩いている途中で美人が優雅に振り返る姿は江戸時代以前からある構図ですが、美人の衣装や髪型は当時流行していたものです。
このころ浮世絵は、一般庶民も手に入れやすい安価なものとして大人気となりました。一枚絵は印刷によって大量生産できるようになりました。
●喜多川歌麿(きたがわ うたまろ)「婦女人相十品 ポッピンを吹く娘」
喜多川歌麿(1753-1806)の作品で、「婦女人相十品」というシリーズの中の1枚です。大首絵と呼ばれるものの一つでもあります。
当時人気だった町娘を描いた作品で、市松模様の洒落た着物を着た若い町娘が描かれています。手に持っているポッピンとは、江戸時代に流行した舶来品のガラス玩具で、息を吹き込むとわずかに膨らみ、空気が漏れる際に発する音からその名がついたようです。
●鈴木晴信(すずき はるのぶ)「夕立」
鈴木晴信(1725-1770)の作品です。鈴木晴信の描く美人画は、ほっそりとした華奢なスタイルが特徴です。
作品の右下に、画工・彫工・摺工と、3名の名前が記されている浮世絵版画作品です。
画工(絵師)は、作品の下絵を作る人(この作品では鈴木晴信)、彫工(彫師)は、下絵を版木に貼ってその絵の通りに彫る人、摺工(摺師)というのは、版木に絵の具を広げ和紙に摺る人であり、木版画で制作される浮世絵は、直接描く肉筆画と違ってこれらの3人の職人によって分業で作られていたものとなります。
その他、東洲斎写楽(その生涯については不明なことが多い)、鳥居清長なども美人画で有名な浮世絵師がいます。
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浮世絵は、江戸時代のメディアとも言える町民の情報源でした。また、描かれた人物やファッションを知る上でも、ニーズが高いものでした。それゆえ、制作する絵師や彫師、摺師などがその力をぞんぶんに発揮して制作した美術品と言えます。
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