日本画・掛軸
粛粲寶 日本画/絵画の買取実績
長年飾ることもなく閉まったままの遺品で、手狭になったため整理のご相談でインターネットよりご連絡をいただき、後日出張査定で訪問しました。
絵画が20点ほどあり、大半は粛粲寶による作品で、なかにはたいへん珍しい干支の12点セットの絵馬などもありすべての作品をお譲りいただきました。
査定のポイント
粛粲寶作品はかつては市場でも比較的目にする作家でしたが没後30年近くが経ち、なかなか目に触れる機会も少なくなってきましたが根強いファンがまだまだ全国にいる事から粛粲寶作品すべてにしっかりとした金額のご提示を出させていただきました。
特に干支の12点セットは立派な桐箱に収納されており、より付加価値をつけてご提案しました。
●粛粲寶
明治35年 新潟県に生まれる。本名は水島太一郎。
大正07年 上京して働きながら、大倉商業学校(現:東京経済大学)に学ぶ。
大正11年 黒田清輝(洋画)主宰の葵橋洋画研究所に入所。
昭和04年 帝展初入選。
昭和05年 院展初入選。
昭和06年 帝展入選。この頃より小林古径(日本画)に師事。
昭和08年 奈良の古寺にて寄食生活を送る。
昭和12年 帰京し再び作家活動に入る。 以後画壇を離れ、個展を中心に作品を発表。
昭和40年 38歳年下の中山正男氏と出会う。
昭和47年 パリのギャラリー・ベルネーム・ジューヌで個展を開催。
平成元年 東京都杉並区久我山から茨城県猿島郡(さしまぐん)境町に転居。
平成06年 91歳で死去
鑑定士より一言
独自の世界観で温もりのある作品を遺してきた粛粲寶。
2年ほど前に再晩年を過ごした茨城県に粛粲寶美術館が開館され、建物の設計には日本が誇る世界的建築家隈研吾が携わったようです。
粛粲寶の作品も見ものですが、建物も併せて気にして見てみたいものです。