日本画・掛軸
有道佐一 日本画・掛軸/龍図の買取実績
弊社ホームページからお客様よりLINE無料査定にてご依頼をいただき、
画像拝見の上で事前に査定金額をお伝え後、
ご自宅へ訪問致しました。
査定のポイント
査定をいたしましたお品々のなかに有道佐一の軸作品がございました。
状態も良く、非常に力強い構図とモチーフが印象的な作品かと感じます。
●有道佐一
1896年(明治29年)3月27日
京都府何鹿郡志賀郷村(現在の綾部市篠田町)に、有道亀松の長男として生まれる 。
1906年(明治39年)
綾部市山家(旧・山家村)へ移り住む 。
1913年(大正2年)
大島傳次郎(当時:山家小学校長)の紹介により、京都師範学校教諭・井上松治に師事 。
1914年(大正3年)
山家へ写生旅行に来ていた洋画家・鹿子木孟郎に認められ、そのまま師弟関係が始まる 。
1916年(大正5年)
朝鮮警備兵として召集される 。
1924年(大正13年)
鹿子木孟郎宅に書生として住み込み、画業に専念。中国(上海・蘇州・杭州など)へも写生の旅に出る 。
1926年(大正15年)
明治神宮の委嘱による「奉天入城の図」制作のため、奉天(現在の瀋陽)へ鹿子木孟郎と共に行く 。
1928年(昭和3年)
鹿子木塾の助教授・幹事に就任。さらに、大阪鹿子木アカデミーで教授および助手を務める
1935年(昭和10年)
鹿子木孟郎の推薦により渡欧。フランス・パリのルーブル美術学院に1年間在籍しつつ、パリを中心にドイツ・ベルギー・オランダなどを巡遊し写生に取り組む。
1936年(昭和11年)
パリで写生中にアルベルト・ジャコメッティに見出され、サロン・デ・チュイルリーの客員として日本人初の推薦を受け、出展も果たす 。その後ヨーロッパ各地を歴遊し、同年帰国 。
帰国後(1936年以降g
小磯良平らの誘いにも応じず、画壇への参加を拒否。京都府綾部市山家の地に戻り、自然風景をひたすら描き続けることで知られ、「幻の画家」と称される 。
1983年(昭和58年)
逝去。故郷・綾部市山家で暮らしながら87歳で静かに生涯を閉じる
鑑定士より一言
近年の市場相場や作家に関するご説明等々をさせていただき、
その他のお品々と共にお買取させていただきました。
ご提示金額や弊社鑑定士の対応など、
非常にご満足を頂けたとのお言葉をいただきました。