日本画・掛軸
中村正義 日本画・掛軸/日本画 風景画の買取実績
当社ホームページをご覧いただき、メールで査定のご依頼をいただき、
画像を送付していただきました。
後日、出張査定のためお伺いしました。
査定のポイント
査定にお訪ねすると、およそ15点ほどの絵画作品の中に、
人気作家である中村正義先生の作品が含まれていることを確認いたしました。
こちらの作品は20号の風景作品で、実際に手に取り、額に若干のイタミや汚れが見られました。、
購入時の外箱や黄袋などの付属品が全て揃っており、全体的に大きな傷はない状態であるため、
査定金額は若干減点されましたが、高価にてお買い取りさせていただきました。
その他の作品も含めて、お客様にご納得いただける金額でお譲りいただきました。
●中村正義
1924年 愛知県豊橋市に生まれる。生家は蒟蒻工場を営んでいた。
1940年 病気により豊橋市立商業学校を中退。
1946年 中村岳陵に師事、日展初入選。
1950年 第6回日展に「谿泉」(豊橋市美術博物館蔵)を出品、特選となる。
1952年 「女人」で特選を受賞する。その後肺結核療養のため1957年まで制作を中断する。
1960年 第3回新日展の審査員となる。
1961年 神奈川県川崎市細山に転居。日展を脱退する。
1963年 個展「男と女」(上野松坂屋・名古屋丸栄)を開催。
従来の画風から一変した前衛的かつポップな作品30点を発表する。
1964年 映画『怪談』(小林正樹監督)のため「源平海戦絵巻」5部作(国立近代美術館蔵)を制作。
1966年 個展「顔の自伝」(日本画廊)開催。
1967年 直腸癌の手術を受ける。
1969年 個展「太陽と月のシリーズ」(銀座三越)開催。
1970年 写楽研究の成果「写楽」(ノーベル書房)を出版。東京造形大学の日本画教師となる。
1974年 人人会を結成。第1回人人展(日本橋三越)開催。
1975年 東京展実行委員会事務局長として展覧会開催に奔走。第1回東京展(東京都美術館)を実現。
1977年 4月16日、肺癌のため死去。享年52。
鑑定士より一言
絵画作品のご売却はこたろうまでお問合せください。
洋画、日本画、版画、掛軸など、多彩なデータより
適切なお買取金額をご提案させていただきます。
この度はありがとうございました。