陶器・磁器
藤原啓 藤原雄 陶器・磁器/備前焼 京焼の買取実績
当社ホームページを御覧いただき、出張査定のお問い合わせを電話で頂戴しました。
当初、いろいな査定業者を調べていらっしゃるとのことで、一旦電話を切られました。
それから数日後、改めて電話で査定のご依頼を頂戴しました。
査定のポイント
先代の方が集められた備前焼の人間国宝・藤原啓と藤原雄親子の作品や名前のある作家の作品等多数お持ちで、ゆっくり鑑賞することもないので整理したいとおっしゃってました。
陶器は備前焼が多く価値のあるものが沢山ありました。他社にも査定依頼されたようですが、お客様と意気投合できたようで話が弾みました。
その結果当社をご指名いただき、ご売却いただけました。
●藤原啓≪ふじわらけい≫
1899年 岡山県和気郡伊里村穂浪(現在の備前市穂浪)に農業藤原伊三郎、世為の三男として生まれる、本名敬二
1913年 伊里尋常高等小学校卒業、私立閑谷中学校入学
1915年 博文館の「文章世界」に短文を応募し1等となる、郷里の先輩正宗白鳥や徳富蘆花に影響され、また西条八十に憧れ詩も書くようになる
1928年 生田春月と共著「ハイネの訳詩集」を新潮社より出版、再び博文館に帰り「婦人之国」編集に携わる
1938年 穂浪在住の正宗白鳥の弟で万葉学者の正宗敦夫から、備前焼を焼くことを勧められ、三村梅景から指導を受ける
1939年 春、初窯を焚く
1948年 国の指定による丸技作家の資格を受ける、この時資格を得られたのは備前焼では金重陶陽、山本陶秀、藤原 啓の三名。
1954年 春、北大路魯山人のあっせんにより、個展(日本橋高島屋)、岡山県指定無形文化財「備前焼」保持者に認定される
1956年 日本工芸会正会員に推される
1958年 日本工芸理事に推される、以後35年まで理事を勤める
1970年 4月25日、文化財保護委員会から「備前焼」の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
1972年 春、勲四等旭日章を受ける、9月第19回日本伝統工芸展の鑑査員となり「備前大壺」を出品
1973年 岡山県から三木記念賞を受ける、9月第20回日本伝統工芸展の鑑査員となる
1975年 迎賓館に「備前水指」「備前花入」を納める、9月第22回日本伝統工芸展の鑑査員となる
1979年 1月「傘寿記念展」(岡山天満屋、姫路、山陽、日本橋高島屋)を開催
1983年 11月12日、肝臓ガンのため岡山大学付属病院にて死去
鑑定士より一言
インターネットで検索していただくと、買取業者はたくさんでてきます。
それぞれ得意な分野や査定の特徴がありますので、慎重に選んでいただくことも大切です。
実際に査定を依頼し、その業者の特徴を肌で感じていただくことも選び方の一つと思います。
この度はご利用いただきまして、誠に有難うございました。