洋画
猪熊弦一郎 洋画/水彩画の買取実績
遺品整理をしているとの事で当社ホームページを検索いただき、
お電話でのお問い合わせを頂戴しました。
絵画数点を査定希望とのことで日時を決めて早速ご訪問させていただきました。
査定のポイント
お父様が趣味で絵画を集めていたとのことで、査定ご希望の作品は
全てお買取させていただきました。
こちらでご紹介させていただく、"猪熊弦一郎"をはじめに辰野登恵子、
馬越陽子など魅力的な作品をお譲りいただきました。
倉庫で保管していたために残念ながら保存状態があまり良くないものもあったため、
マイナスの評価に繋がってしまう作品もありましたが、
全て買取に繋がったことに大変喜んでいただけました。
【猪熊弦一郎】
・1902年 香川県高松市に生まれる。絵がうまく、学校の美術の授業で教師の代わりをする事もあった。
・1922年 東京芸術大学洋画科に入学、藤島武二に師事。
・1926年「婦人像」で帝展初入選。その後、「座像」で特選に選ばれるなどし、帝展無鑑査となる。
・1936年 帝展改組をきっかけに小磯良平、脇田和らと新制作派協会を設立。
・1938年 フランスに移り、アンリ・マティスの指導を受ける。この時、マティスに自分の絵の批評を請うと「お前の絵はうますぎる」と言われ、これを自分の画風が出来ていないと捉えて愕然とする。以来、自らの画風を模索する歳月を過ごすが、マティスの影響からなかなか抜け出せなかった。
・1944年 田園調布純粋美術研究室を発足。
・1950年 白地に赤で有名な三越の包装紙「華ひらく」のデザインを行い
(このデザイン画を受け取りに赴いたのが当時三越に勤務していたやなせたかし)、当時としては破格の報酬でも話題。
・1951年 上野駅に壁画「自由」を完成させる。
・1955年 活動の拠点をニューヨークに移す。この時期から画風は一気に抽象の世界に移っていく。
・1973年 脳血栓で倒れてニューヨークを離れ、1975年からは毎年冬はハワイ、冬が過ぎれば東京ですごしながら創作活動を続けた。
・1980年 勲三等瑞宝章を受章。
・1991年 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館開館。
・1993年「祝90祭猪熊弦一郎展」で第34回毎日芸術賞を受賞。同年 逝去。90歳没。
鑑定士より一言
ご来社の奥様、息子さん同席で査定させていただきました。
旦那様の趣味を理解し、奥様も一緒に絵画を楽しんでいたとのことで1枚旦那様との思い出の絵は残したく寝室に飾ってありました。
旦那様の想いも強く感じ、弊社がしっかりと橋渡しさせていただきたいと思います。
作者不明、置き場所がなく売却したい等些細な事でもご相談いただければと思います。
この度はありがとうございます。