中原悌二郎作品の買取

作品カテゴリー

  • 彫刻・ブロンズ

    中原悌二郎の生涯・功績

    中原悌二郎は明治から大正時代の彫刻家です。
    中原悌二郎は文展や院展で活躍しましたが、32歳の若さで夭折した彫刻家です。

    【年譜】
    1888年 北海道釧路市の生まれ。
    1897年 母とともに旭川市に移り、母方の叔父の養子となる。
    1902年 忠別尋常高等小学校高等科(現・旭川市立日章小学校)を卒業し
    北海道庁立札幌中学校(現・北海道札幌南高等学校)に入学する
    医師を目指していたが、美術教師の林竹治郎に影響を受けて17歳の時に画家を志し、
    3年生のとき落第したのを機に札幌中を中退して上京、
    白馬会研究所・太平洋画会研究所洋画部で学び中村彝と親交を結ぶ。
    その後荻原碌山の感化によって彫刻に転じ、太平洋画会研究所彫塑部で新海竹太郎に師事。
    1910年 第4回文展に「老人の首」が初入選した。
    1912年 当時日本でもまだその名が知られ始めたばかりだったロダンの実作に初めて触れて、深く啓発される。
    1916年日本美術院の研究会員に転じ、佐藤朝山・石井鶴三らとともに研鑽を重ねた。
    同年の第3回院展に発表した「石井氏の像」で樗牛賞を受けて院友となり、
    以後も同展に「行乞老人像」「若きカフカス人」「憩える女」などの作品を次々と発表する。
    その作風は写実に基づきながらも堅牢な構築性を示し、内面表現にも優れた。
    1919年の「平櫛田中像」を遺作として32歳で没した。

    中原悌二郎の代表作

    • 『若きカフカス人』1919年 彫刻の森美術館蔵

    中原悌二郎の作品の魅力

    【鑑賞のポイント】
    彫刻は使用する素材と、その表現技法に彫刻家独自の作風が現れます。
    動きを感じるような表現や力強さなどの表現力が評価されます。
    中原悌二郎は他人に真似できない洞察力と表現力で、
    明治時代における彫刻の近代化の中で最先端を走った者と称されています。

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