辻与次郎作品の買取
作品カテゴリー
茶道具
工芸品
辻与次郎の生涯・功績
辻与次郎(辻與次郎、つじ よじろう、生没年不明)は、
安土桃山時代から江戸時代初期(16世後半から17世紀初頭)の釜師、鋳物師。
法名を一旦と号し、天下一與次郎とも呼ばれる。近江国出身。
辻与次郎の作品の魅力
年記のある最古の作品として兵主大社(滋賀県)の天正18年(1590年)「銅鰐口」、
豊国神社の慶長5年(1600年)「鉄灯籠」、出羽西善寺の慶長15年(1610年)「梵鐘」、
焼失した宝塔寺(京都府)の慶長16年(1611年)「梵鐘」があり、
初期に與二郎、晩年に與次郎と銘を記している。
與次郎の銘を記した釜は現存しないが、「伝與次郎作」として安土総見寺の
天正3年5月(1575年6月)の年記がある「尻張釜」、大津の聖衆来迎寺の慶長7年(1602年)「鉄茶釜」がある。
豊国神社の灯篭は秀吉死後、その恩に報いる為與次郎が寄進したものと伝えられている。
出羽西善寺には「山城愛宕郡三條釜座鋳物師天下一辻與次郎藤原實久」と記されている梵鐘がある。
名越昌孝の『鋳家系』によれば、與次郎は名越善正の次男で慶長8年(1603年)に48歳で没したと記されているが、それ以降の作も現存しており、『鋳家系』記載は誤りとされる[1][3]。