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ニッポン茶釜会議/芦屋釜・天明釜/千利休・大西清右衛門・角谷一圭・高橋敬典・宮崎寒雉

●茶釜集結

利休「本日は茶釜の日本一を決めるため、古今東西日本各地より名だたる茶釜に集まってもらった。今でこそヤカンや電気ポットにその地位を奪われてしまったが、お茶と言えば茶釜は必須だった。わしの生きておった桃山時代から令和の時代までの各茶釜に我こそは、とプレゼンしてもらい、日本一の茶釜を決めたいと思う。よいかな。A●Bのような、くだらん総選挙などはやらん。最後はわしが独断で決定する。それでよいな。では我こそは、という茶釜から手を上げい。なに、釜に手はついてないとな、・・・。まあ、それであればだれか声を上げい。」

●芦屋釜vs天明釜

芦屋釜「利休様。茶釜と言えば、芦屋釜がもちろん日本一にござりまする。九州は福岡の郊外、芦屋の地で室町時代に創業を始めた釜屋で、茶の湯とともに歩んだ歴史があります。また、名品の数々が、令和の時代になっても多数残っております。利休様もご存じでしょう、現在茶釜で重要文化財に指定されている9点のうち、8点が芦屋釜です。トーハクの所蔵となっている「浜松図真形釜」の美しいこと。比翼のような外羽の姿はなだれ落ちる水のような優美な形をしております。また芦屋釜といえば、「鯰肌」と呼ばれるきめ細かい肌合いが魅力。これはまさに博多人形にも通じますなー。どうみても日本一は芦屋釜。これ一択ですぞ、利休様」

天明釜「なにを寝ぼけたことを言っておる芦屋釜殿。やはり日本一の茶釜と言ったら天明釜に決まっているではないか。あの厄除け大師で有名な栃木県佐野市で創業し、鎌倉時代にすでに作られたという言う茶釜も現存しているくらいであるぞ。利休様もご存じの通り、織田信長が欲していたにもかかわらず、提供を拒んだ松永久秀の爆死とともに粉砕されたあの「平蜘蛛」の釜も天明作であるぞ。また荒々しい釜肌は詫びた風情で、利休様の好んだ侘茶にこの上もなくぴったりしておりましたな。どうみても日本一の茶釜は、天明釜。天明釜が二番以降など、ありようがありませんぞ」

  

●京釜師と大阪師

京釜師「お二方ともお歳をめされて記憶が薄れ、ややボケておられるかな。お二方とも江戸時代には製造を止めておるではないか。それに比べ我々京釜ブラザースは京都市中の三条釜座に居を構え、江戸時代から明治・大正・昭和そして平成、令和の時代まで脈々と利休様の末裔から各時代の茶人にまで、必要とされる茶釜を届けておるではないか。私、大西家から辻、名越、西村家などと、茶人の好みで作らせていただいた茶釜は無数である。また、近代では高木家、吉羽など巧みな釜師も多数いる。この釜師層の厚さなどV9時代の巨人軍のようではないか。やはり千家の方々をはじめ、大勢の茶人の傍におって、そのニーズに応えつづけた京釜こそ日本一に違いはない、ではないかな」

大阪釜師「あんたら、何言うてまんねん。いまや大阪の茶釜がナンバーワンでっせ。角谷はんのとこの親子は二代で人間国宝でっせ。わてのとこの初代・大国藤兵衛は明治40年の日英博覧会で金牌をいただいたんでっせ。時代は阪神タイガースと大阪茶釜。もう、これしかありませんな。」

高橋敬典「茶道をなさる方にたくさんの美しい茶釜を届けたのはなんといっても山形鋳物師の私、高橋敬典に違いないべ。いーっぺいつくっているから、誰もが持ってる茶釜、敬典の茶釜がなんといっても数ではまけねえよ。なして、人間国宝・敬典の茶釜が日本一でねえの?」

宮崎寒雉「いいや、加賀百万石・金沢のお殿様に可愛がられ、代々名作を残したこの宮崎家・宮崎寒雉の茶釜が日本一でんな」

江戸名越家「なんといっても徳川の将軍家に招かれて御用釜師となって200年、日本の中心・お江戸で茶釜を作った当家が日本一である。」

  

●結果発表

「なにー、そんなわけないやろ」「いいかげんにしなはれ、うちが日本一」「まだ言うか」「手を出したらいかんやろ」「茶釜に手なんかあるか、べらんめぇ」・・・。

茶釜、乱闘になる。

利休「これこれ、もうやめい。さすがに茶釜だけに、どれも沸騰しやすいな。少し水次で頭を冷やしなさい。また、こんなことになろうと思って、もう一釜呼んでおる。これ、でて来い」

・・・ざわつく釜たち・・・

「なんや、釜から頭と手足がでてるで。気色悪い。」「あっ、こいつはタヌキだな、さてはこやつは聞きしの『文福茶釜』か?」

利休「皆のもの、残念ながら知名度ではこやつに勝てん。なにしろ『まんが日本昔話』にも登場する茶釜だからな。湯も沸かせて、人も沸かせることができるでな、『文福茶釜』が日本一の茶釜である。」

 

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