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Don’t think ,Feel!/篠田桃紅/篠田正浩/菊池寛実記念智美術館/ブルース・リー/ヨーダ

●ブルース・リーとヨーダの言葉

「燃えよドラゴン」。今の中高年の世代が少年時代にはまった映画であった。体を張ったアクションスターであり、のちのジャッキー・チェンや漫画「北斗の拳」のケンシロウのモデルとも言えそうである。また、ヌンチャクという新しい武器は子供の心をとらえ、塩ビ管と紐で自作した奴もいた、という記憶がある。「スタイル/形」が人気であったが、映画のセリフで「Don’t think ,Feel!」と語ったことが記憶にある。短くて、哲学的な言葉である。理解できそうでできない、深くてカッコいいセリフであった。この言葉は、再び映画「スターウォーズ」のヨーダによって語られた。

最近、抽象芸術を見るときのコツがこの「Don’t think ,Feel!」と思うようになった。タイトルをみてもその抽象芸術と結びつかないものがほとんどである。むしろタイトルから考える、わからなくなる。結局、感じるしかない。

●篠田桃紅というアーチスト

篠田正浩。1960年代から活躍した映画監督である。編集子は夏目雅子主演であり、遺作となった「瀬戸内少年野球団」という監督作品が印象深い。彼の作品に「心中天網島」という映画がある。ご承知の方も多いと思いが、近松門左衛門の人形浄瑠璃が原作で、1969年に封切されたモノクロ作品である。主演は昨年亡くなった若き日の二代中村吉右衛門と篠田の妻・岩下志麻であった。実はこの作品に、人知れずある芸術家の作品がセットとして使用されていた。その作者は篠田桃紅。実は、篠田桃紅は篠田正浩の従姉であった。時代劇に当時の現代アートを組み込むという手法、30代の若き映画監督の挑戦である。

篠田桃紅は昨年、107歳で亡くなっている。本名は満州子という。生まれはまさしく、中国の大連であり、日本により統治されていた満州国である。父から書を学び、戦後、前衛的な書家たちと交流を持つが、1956年に渡米。戦後のアメリカでは、自由主義の台頭から抽象画、ファインアートなど芸術の幅が拡大しつつある時期で、日本から来た篠田の墨による作品は好感を持って受け入れられたという。しかし、1958年に帰国。以後は、国内の建築物、壁画や障壁画など、書籍などの題字を手掛けたという。しかし、昭和期前半では、自己流ゆえの「根なし草」との批判があり、トップアーチストとしての評価は得ていない。

ただし「トールマンコレクション」という海外に強いギャラリーが個展を開き続けているようであった。実際に、編集子もブレイクしたというな印象はなく、執筆した随筆で1979年に日本エッセイストクラブ賞を受賞したということが、目立つイベントとしてあるくらいである。晩年も数々の随筆を出していた。亡くなる直前に「これでおしまい」という本が発売されたことが印象深い。

●篠田桃紅の作品

書とも、絵画とも言い切れない。もともとは書家として文字から描き始めたようであるのだが、書体を追求する書家とも異なる。また、画家かといえば、描いたものが、具体的な対象物と理解できるものはない。しかなる心象風景かも理解しづらい。だれが呼んだか「墨象」というジャンルになるらしい。

しかし、いかにも東洋的な画材、つまり墨と紙という組み合わせであるから、欧米人にとってはオリエンタルなものを、日本人にとっては和のものを感じるから絶妙である。

描く紙は当初からの和紙から、2000年代以降は金箔・銀箔・プラチナ箔の貼りこんだものに変化したという、80歳を過ぎてからの挑戦である。

また、1963年からはリトグラフ作品も発表し続けている。刷師は、日本におけるリトグラフの草分となる木村希八が担当してきた。篠田自身も刷り上がった紙面に一筆を加えているのが特徴である。生涯にのべ1000点以上をリトグラフで発表しているという。

東京・虎ノ門、現在は閉館した旧ホテルオークラ東京別館の裏手に、菊池寛実記念智美術館がある。千葉県の京葉瓦斯初代社長・菊池寛実と、アートコレクターであり、ギャラリー・寛土里のオーナーだった娘・菊池智のコレクションを収蔵する美術館である。

この美術館の入口を入ると正面に墨画が見えてくる。作者は篠田桃紅。タイトルは「ある女主人の肖像」。もちろん、女主人とは、菊池智である。しかし、うーん、難解。Don’t think ,Feel!

(同美術館で2022.8.22まで「篠田桃紅 夢の浮橋」展が開催中)

 

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