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笑わん少女・南桂子/浜口陽三・銅版画・エッチング・ミュゼ浜口陽三ヤマサコレクション

●銅版画の世界

日本人になじみが深いと言えば、木版画であろう。浮世絵はすべて木版画である。あと、子供の頃はイモ版や消しゴム版などもあった。いずれも彫りやすい版材という特徴がある。これらは彫残した部分にインクが乗る凸版画と呼ばれるものである。一方、欧米では16世紀には紙の普及に伴って、銅版画が浸透していった。初期では、エングレービングやドライポイントという技法で、銅板に直接彫り込みを入れていく手法であった。しかし、のちに繊細な表現を可能とする、腐食液を用いて製版するエッチングという技法が開発されている。これらは削られた部分にインクが残る凹版画と呼ばれるものである。その後、リトグラフが開発され、さらにはシルクスクリーンと、版画の技法は新たに発展していくことになった。

●ミュゼ浜口陽三ヤマサコレクション

東京・水天宮前。ここには都内からバスで成田空港へのアクセス拠点となる東京シティ・エアターミナルがある。今ではTCATと略称で呼ばれることも多く、成田空港開港当時はここで搭乗手続きも可能であり、また京成線とここからのシャトルバスがアクセスのメインであったため、海外への玄関口という意味合いもあった。このTCATの程近くにミュゼ浜口陽三ヤマサコレクションという小さな美術館がある。浜口陽三は版画家であり、カラーメゾチンドという技法で知られている。実は、浜口は醤油で我々の生活になじみの深い、醤油醸造企業・ヤマサの創業家出身である。そしてこの美術館はヤマサが所蔵する浜口の版画を中心とするコレクションを展示する美術館である。ここでは、浜口のほかに南桂子という版画家の作品展も時々行われている。南は浜口夫人となる版画家である。この南は浜口を追ってフランスに渡り、版画を学んだという。このときすでに40歳を超えていた。

●版画家・南桂子

南桂子は1911年に富山県で生まれている。学生時代は童話や絵画が好きだったようだが、本人の意に添わぬ結婚をした。それでも四人の子供がいたという。戦後、家族をおいて上京、「二十四の瞳」で知られる壺井栄に師事し、童話作家を目指していたようである。その間に何が起こったかは分からないが、遅れて離婚が成立した。そしてその後、画塾で浜口陽三と出合い、1954年には浜口の許へとフランスへ旅立っている。子供には「もう二度とあなたたちには会えません」との言葉を残しての旅立ちだったという。ただ、編集子が調べた限りでは、いつこの版画家同士が結婚をしたのか、については判明しなかった。

渡仏後、南は浜口の傍らで、浜口の生活を支える一方、銅版画を学び作品を発表するまでに実力をつけている。南の版画はエッチングが多く、線は輪郭を描くのではなく、点の連続で輪郭をなしている。また、濃淡も点の密度で表現している。夫・浜口のメゾチントも点の集合体であるから、その影響があるかもしれない。

作品の制作をつづけた南はパリの画廊と専属契約を結ぶまでに評価され、ユニセフの1966年のカレンダーにも南の作品は採用されている。日本に対しては、谷川俊太郎などの本の挿絵を描くこともあった。パリでの生活が長く続いたが1996年に浜口とともに帰国。2000年には浜口が、2004年には南が、それぞれ都内で亡くなっている。

●南桂子の版画

さて、南の版画であるが、少女の姿を描く作品が多い。どれも同じ人物と思われる少女である。そして、その表情は切れ長の目で、少し右上に顔を上げているが、無表情に感じる。併せて、犬や鳥などの動物を傍らに描くことがあるが、物憂げでさびしさ・寂寥感が漂う。二人の少女が並んだ版画も楽しそうな様子はみえない。実際に編集子は、先の美術館でいくつかの南作品を見たが、その少女の顔に笑顔が浮かぶ作品はなかった。

さらに編集子は、南の生涯をいくつかの書籍で調べたが、その足跡を詳細に追うことはできなかった。したがって、版画で描かれた少女が南の子供たちであったのかは定かではない。しかし、その表情や寂寥感から推察されるのは、子供が男女のどちらかであったにせよ、南の子供への思いである。南がフランスで「子供の泣き声を聞くと、足が止まる」と親友に話した、との逸話もある。ふと、自分の子供たちを思い出す瞬間は、フランスでの生活の中でも多々あったであろう。芸術家の人生は、その作品となって浮かび上がることは多い。

しかし、先に述べた通り、南は二度と子供に会うことはない、と言ってフランスへと渡った以上、帰国してからも顔を合わすことはなかったのではないかと思う。一方、元の夫や子どもたちは南の成功をみて、また南の版画をみてどのように思ったのであろうか。

いま、南の版画を見るとき、残して旅立った南の想い、残された元家族の想い、その二つが交錯するのは編集子だけであろうか?

やはり版画の少女は笑うことがない。