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ゲームから生まれた刀剣ブーム/刀剣女子・日本刀・鍔・刀装具

  • 刀剣ブーム

「では、第一問。”今宵の虎徹は血に飢えている”というセリフで有名な幕末の剣士はだれ?」「近藤勇」 

「第二問、江戸時代に剣豪・宮本武蔵と巌流島で対決した佐々木小次郎が愛用したといわれる長尺の刀はなに?」「物干し竿」 

「第三問、江戸時代の読本”南総里見八犬伝”で、八剣士の一人・犬塚信乃の所持した刀剣で”抜けば玉散る”との形容をされた架空の名刀は何?」「村雨」 

「全問正解~」 

2015年の新語・流行語大賞にもノミネートされた「刀剣女子」。上記のようなクイズの問題でも、いとも正答する女性もいる。日本刀ファンとして美術館を訪れる女性が増加したきっかけは「刀剣乱舞」というオンラインゲームが登場したことに由来する。ゲームに登場するキャラクターは男性の姿をしているが古来からの日本刀・名刀を擬人化したものだという。そうしたキャラクターの由来となる刀剣実物にも注目が注がれるようになり、刀剣女子が増えていった。 

●日本刀の歴史 

「刀」といわれるものは、古墳時代から存在する。しかし、一般的には平安時代末期・武士が興ったころに完成された「反り」という弧を描き、片身(片刃)の刀剣を日本刀という。 

侍の命ともいえる日本刀は明治維新後に大きな転機を迎える。1876年に公布された廃刀令/帯刀禁止令である。これにより日本刀は街中から消えていったが、家屋内での所持そのもの制限されなかった法律である。その後、第二次世界大戦の敗戦により、銃砲等所持禁止令が発効され、進駐していたGHQは数十万本の日本刀は没収される。その後、一部が返還されたものの、市中に存在した日本刀は激減した。さらに1958年の銃砲刀剣累所持取締法の発効により、届け出の登録制度に基づく美術品および政府により認められた刀鍛冶が作り、登録された日本刀のみが存在することとなった。 

●刀鍛冶 

平安時代から現代までの歴史ある日本刀で名工とよばれる刀匠は数多い。 

上記で挙げた「虎徹」銘の作者は長曽祢虎徹といい江戸時代・越前の刀匠である。「関の孫六」という名前も聞くことが多い刀匠だが孫六兼元という室町時代の美濃の刀匠である。「正宗」という日本刀もよく知られている。鎌倉時代から室町時代まで製作した刀匠であるが正確な情報があまりない。そして最近特に耳にするようになった刀匠がいる。それは「はがねづかさん/鋼鐡塚蛍」である 

。そう、あの竈門炭次郎が使う日輪刀の刀匠であり、もちろん架空の刀工である(-_-;)。 

現代の刀匠では人間国宝となった方が六名いたが、現時点ではすべての方がお亡くなりになっている。 

●日本刀の美・みどころ 

よく見かけるシーンとして日本刀を光にかざして鑑賞する場面がある。まず、全体の姿をみる。細部についてのみどころは、大きくは刀身の刃文と切先の模様ではないだろうか。前者は切れる部分の刃先と切れない部分の峰との間に生じている模様・色合である。直線的なもののほか、波のような不定形のカーブや水滴が水面から湧き上がるような模様など、さまざまな模様が見られる。後者は「帽子」と呼ばれ、刃文同様にさまざまな模様に名称がついている。その他、地鉄という鋼を鍛錬して加工する際に生じる模様がある。 

●今も残る言葉 

一般の人々にとってはすっかりなじみのなくなった日本刀ではあるが、関係するいくつもの言葉は今も使われている。 

一対一のデッドヒートを現すこととして使われる言葉に「つばぜりあい」がある。刀を持つ者同士が接近戦で、刀の鍔同士がぶつかり合うさまをたとえた言葉である。 

周囲の条件が厳しくなって身動きがとれなくなるさまを「せっぱつまる」という。この「せっぱ」というのは「切羽」という刀剣の部品で、刀身を固定するためのリング状のものである。この切羽は日本刀にとっては緩んでいては困るものである。したがって、「せっぱつまる」ほど遊びのない状態を指しているのである。 

誰もが高品質と認めるものを「折り紙付き」という。実はこの「折り紙」とは刀剣の鑑定書を折り畳んだものだという。 

人と人との相性が合わないことを「反りが合わない」という。先に述べたように、ほとんどの日本刀は反ったカーブを持っている。当然、その刀身を納める鞘も内側は同じ反り・カーブとなっている必要がある。そのため、刀身と鞘が元々のものと異なった者同士の場合、きっちり鞘に収まらない。その姿をたとえている言葉なのである。 

「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱られる前に、刀剣に関するさまざまことわざを調べておこう! 

 

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