日本画・掛軸
徳力富吉郎 日本画/色紙版画 高岡銅器 香炉 置物の買取実績
おじい様の遺品整理をされるため、インターネットで当社を検索いただき、お電話でお問い合わせいただきました。
後日、出調査定でお客様のお宅にお伺いしました。
査定のポイント
ご依頼者様は作品に関して詳細不明とのことでした。
お祖父様の趣味で収集されていた美術品で、お茶道具、武具、高岡銅器、絵画など幅広い作品がありました。
中に版画家・徳力富吉郎が製作した色紙版画がありました。
「散華」という、寺院の法要の際に僧侶が撒き散らすもので、
奥村土牛他日本画家の描いた図案が木版画で刷られた色紙です。
査定させていただいたセットは薬師寺の法要に使用されたもので、徳力富吉郎の「精進の組」として販売されたものです。
とても保存状態良くほぼ使用感はありませんでした。
他にも銅製香炉やお茶道具など、詳細に説明し、ご納得いただける金額ですべてお譲りいただきました。
●徳力富吉郎
明治35年 京都市の西本願寺絵所を預かる家系の12代目として生まれる。
大正12年 京都市立絵画専門学校を首席で卒業する。卒業後、土田麦僊に師事した。
昭和3年 国画創作家協会に日本画を出品、樗牛賞を受賞する。
昭和4年 麻田弁次、浅野竹二、亀井藤兵衛らとともに「京都創作版画協会」を創立した他、国画賞を受賞している。
この頃から富吉郎は木版を始めており、平塚運一や棟方志功らと同人誌『版』を創刊する。
昭和6年 内田基一の内田美術書肆から『創作版画花尽』という版画集を麻田、浅野、亀井らとともに出した。
また、土田杏村の薦めにより版画の大衆性と芸術性の両立を目指した雑誌『大衆版画』を創刊している。
第二次世界大戦後、版画製作所『まつ九』を創設、徒弟を養成した。
昭和43年 大衆版画の制作を始めており、個展も数回開催している。
昭和47年 西本願寺のための聖人足跡版画集12点を制作する。
平成12年 死去
鑑定士より一言
先々代のお持ちになっていいた遺品となると、内容が皆目検討がつかない場合はよくあることです。
こたろうでは、それぞれのお品物の内容を説明すると共に市場価値をご案内して、査定金額を提示いたします。
まずは、詳細不明な場合でも、お電話にてお気軽にお問い合わせください。
この度はありがとうございました。