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野にある茶人・丿貫~前田玄以の回想/北野大茶会・豊臣秀吉・千利休・芦屋釜

●北野大茶会
関白様においては、実に困ったものだ。七月に出した御触書では十日間続けられると書いていた大茶会が初日のみで中止されてしまった。この茶会に参加しないものは今後茶道をしてはならぬ、と伝えているのにどうにも合点がいかぬ、と思ったものは多かった。初日の夕刻、関白様に伝わった話として、肥後国人一揆が発生したという良からぬ伝聞があったのは確かだが、なんの結局は関白様自身が一日で十分満足したからであろう、というのが町衆の噂である。関白様ご自身でお茶を点てられたり、お集めになった茶道具、黄金の茶室まで設えて権威を誇ったことができたので、これで満足してしまったのかもしれぬ。この茶会に招かれて博多からわざわざ上洛してきた商人・神谷宗湛はすでに終了していたことを知って、かなり驚いていたな。

●丿貫現る
ただ、茶会の当日は特に困ったことも起こらず、一ヶ月ほど掛けた準備も滞り無く間に合ったことは、茶会の準備を任された我々にとってはありがたかった。特に要人を茶席でもてなしたのが、千利休・津田宗及・今井宗久だったので、この顔ぶれであれば些細問題ないと安心していた。さらに古田織部には余計なことをせぬように釘を差していたのも功を奏したかもしれぬ。まずは予定通りの初日ではあったのだ。
関白様も自らお茶を点てていらっしゃったが、しばらくするとのべで八百ほど設えられたお茶席を回られた。美濃の国から来たという一化というお茶人の席で関白様はお茶を飲まれたあと、大徳寺の拝殿に戻ろうとしたが、遠く見える真紅の大傘を見かけて私に聞いた。
「玄以、あの大傘は誰の茶席だ」
「たしか、山科から出てこられた丿貫(へちかん)というものかと存じます」
「どおれ、茶を飲みに行くか」
と、関白様は茶席に出向いていった。傘は一間半ほどの大きなもので、その下では小袖に野袴の初老の茶人がいた。釜だけは芦屋釜の良いものがあったが、その他は唐津の茶碗や瀬戸の水指など新物で特に良いものとは思えぬ道具であった。
「一服点てよ」と関白様が伝えると、そそくさと準備をして、一碗を差し出した。中を覗いた関白様は少し微笑み、一碗をぐいと飲み干して「ほほう、香煎を出すとは、愉快千万。もう一椀、点ててみよ」と命じた。なるほど、抹茶を飲み続けていれば腹にも良くない。軽い香煎に変えるなど、気の使いようは感心するばかりであった。
この茶会は一日で終わったが、丿貫を関白様はいたく気に入ったようで、茶会後の報告を関白様に伝えにいくと、「玄以、城に丿貫を呼び寄せよ」と申し遣った。
実際に、丿貫が城に来ると、関白様は集めた茶道具を見せて、お茶の指南役として仕官を勧めたようであるが、結局、丿貫は断ったようである。今思えば、この頃から茶道具の目利きとして人望と資金を集めてきた利休に嫉妬や疑心が芽生えてきていたので、楽しませてくれる茶人が欲しかったかもしれぬ。

●利休と丿貫
関白様への仕官を断ってしばらくした後、山科へ出向く所用を済ませた後、丿貫の住まいを訪ねてみたことがあった。茶道の先人である村田珠光の「藁屋に名馬繋ぎたるがよし」を身をもって行っているようなあばら家ではあったが、茶道具はというと「名馬」に例えられるような道具も見当たらない。聞けば、手取釜で炊事をし、また湯を沸かして茶を楽しんでいるという。
利休と丿貫はともに武野紹鴎に茶を学んでおり、兄弟弟子であったがその生き方は対象的なものであった。そういえば、その際に利休について心配していた丿貫の言葉を聞いた。
「若い頃の利休は心篤い人であった。今となってはその志も薄くなり、昔とはすっかり変わった人であるように聞く。人も二十年も過ぎれば志も変わるのかと残念に思う。利休は信長様、関白様に祀り上げられているが、残念ながらいつかその力が衰えると、解っていないようにみえる。身の程をわかっていればよいものを、わからずにいればいつか禍が利休に降りかかるのではないと、同じ門の茶人としていたく心配である」と、悲しげな顔を見せていた。図らずも、丿貫の心配は四年を待たず利休の死によって実現されてしまった。
昨今でも丿貫の奇行は噂となっていくつも聞く。利休を茶に招いたときに、落とし穴に落として土埃まみれにさせておいて、その後は湯を浴びさせ、清々しい身で茶を出したことがあるという。また、茶室に入口である躙口正面に茶壺を置いたり、床の間には丿貫の夫人を座られせておいたという話も聞く。あくまでも主役の客を楽しませるための茶に徹した丿貫。一方、自ら主役になってしまった利休という、対照的な茶人であった。
死してもなお、利休の茶は生き続けるのであろう。しかし、野にあり自由な自分の姿を求め続けた丿貫の姿が羨ましく感じるのはなぜだろう。
利休の死から一年。関白様の目は朝鮮征伐に向いている。船を出し、大陸に兵を遣わしての戦いはどれほど困難であろう。身の程をわかることの難しさを丿貫は教えてくれたようだ。