右か左かひな祭り・雛人形・立雛/上村松園・鏑木清方・川喜田半泥子・リヤドロ
●ひな祭り、桃の節句
三月三日、そうひな祭りである。桃の節句ともいう。はてさて、ひな人形と桃との関係はいかに、気になるので整理してみた。
やはりこうした文化も中国から来ているらしい。古代中国には上巳の日(三月最初の巳の日)に川で身を清める風習があり、これが日本に伝わって草や藁など作った人形(ひとがた)に穢れや災いを移して川や海に流す風習となったことが発祥らしい。また、元々は巳の日は同じ月であっても毎年異なるはずだが、現在の節句に組み込まれてからは三月三日に固定されている。
では、桃の節句となった由来となると、桃花の季節だからということらしい。ただし、旧暦なので現在の三月とは異なる。地球温暖化の昨今とは言え、桃の節句に桃の花を飾るのは季節的にはちょっと早い。
これでチコちゃんに「ぼーっと生きてんじゃねえよ!」と言われずに済む。
●雛飾り
かつては一月二月というと、人形店のテレビCМで段飾りをよく見た。昨今の住宅事情を考えると、現在では想像もつかない七段飾りなどという大掛かりの雛飾りもよく売れていたようである。現在では、親王飾りという男女一対のものが多く、せいぜい親王の下段に三人官女という三体の人形が据えられ、その下に桜橘・重箱などが並べられている。それ以上となると五人囃子という楽器奏者が加わり、さまざまな道具・調度品が段に乗せられていった。また、昭和の高度成長期にはそれまでにない三歌人(菅原道真、小野妹子、柿本人麻呂)までも登壇し、八段飾りにするという拡大路線もあったようである。
編集子もそうであったが、ひな祭りの時季、雛飾りのある女の子の家に招かねると巨大な段飾り圧倒されてしまい、みょうにかしこまってしまうのが昭和期の小学生であった。
かつて雛飾りでまことしやかに言われていたことが、「雛人形をしまい忘れると婚期が遅れる」ということ。逆に、多忙で雛飾りをしまうのが遅れてしまいそうなときには、「お雛様とお内裏様を後ろ向きにすればよい」という、裏ワザがあったりもした。もともとは片づけを速やかにする、という教育的観点から生まれた言葉であるが、実際は晴れた空気の乾燥した日が人形にとっては収納日和ということらしい。
加えて、当社へのお問い合わせとしてもあることであるが、雛飾りを他の方に譲るということはいかがなものか。当社の場合でいえば、他の方に引継ぎが難しいお品物として、雛飾りのお引き取りは行っていない。上記にも記したが、もともとの目的でいえば人の穢れを引き受けてもらうものなので、基本的には一人の女の子について一式ということが望ましいようである。そのため姉妹間、親子間での引継ぎも、本来の主旨からすると望ましいことではないようである。
したかって、どうしても手元において置けない場合は、お役目ご苦労様と廃棄していただくのが、本来の姿のようである。処分の仕方が気になる場合には、供養・焼却をしていただける協会・寺院などもあるようである。
●立雛の図
先に記したように元々は流し雛が発祥なので、その姿は基本的には簡素なものである。しかし、江戸時代以降には染織や版木印刷などによって、衣装が華やいだものとなりその姿は雅なものとなっていった。
日本画として多く書かれていたのが、そうした親王雛の姿を描いたものであり、多くのものは立雛という立ち上がった二人の姿を描いている。
近年でも、日本画家の上村松園や鏑木清方らが描いた作品が知られている。図案家・神坂雪佳の描いたものもある。また、実業家で陶芸・書画でも知られた川喜田半泥子は雄雛雌雛を面白おかしく描いた。
驚きはスペインの陶磁器メーカー・リヤドロの陶人形の内裏雛である。さすがに現代人ぽいスマートな顔立ち・・・・
ちなにみに昔は、雄雛が向かって右であった。もともと宮中は上座が右だったためである。最近では、特に東日本では向かって左が雄雛のものが多い。これは式典の洋風化により皇室でも天皇が向かって左、皇后が右に立つようになったためだという。
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