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ゆるかわの民芸絵画・節分と大津絵/鬼の寒念仏/地獄草子

●鬼と鬼退治
二月三日は節分である。最近では恵方巻が節分の定番として認知されスーパーやコンビニで様々な種類の恵方巻が販売されているが、「これが恵方巻」というような具のものがある。バレンタイン商戦とならび、なかなか商魂たくましい流通業界である。
節分は鬼を追い払う日でもある。鬼は人に憑りついて悪さをするものとして昔から恐れられていたが、豆まきで退治できるとは、実に弱いものである。一方、最近人気のアニメ「鬼滅の刃」では、手足が切られても再生できるのが鬼であり、鬼退治は安易ならざるものとして描かれている。やはり数百年も経つと、鬼も変異していくのであろうか。
では、節分になぜ豆をまくのか。それは、悪「魔」の「目」をつぶして、退治するためだと言われている。「魔」と「目」で「まめ=豆」となったという説らしい。また、必ずしも全国一律ではないが、柊の先にイワシの頭を刺した飾も玄関に掲げられる。これは焼いたイワシの臭いを鬼が嫌がり、柊の葉先にあるトゲが鬼の目を刺す、といういわれである。かつての鬼も受難があったものだ。

●鬼を描いたもの
平安時代に描かれたという「地獄草子」という絵巻がある。亡くなってから地獄に落ちると、こんな怖い目にあいますよ、という教えである。ここでは閻魔大王が裁判官として、鬼が地獄に落ちた人間/罪人を懲らしめる役目であり、実におどろおどろしい。
一方で、やや漫画のように鬼を絵を描いたものとして知られているのが「大津絵」である。「鬼の寒念仏」、「鬼三味線」、「鬼と柊」、「鬼の行水」といったデザインがあるという。どれも鬼の顔としてはおどろおどろしい表情は残っているものの、全体としては「地獄草子」ほどの写実来はなく、ゆるかわである。大津絵の「鬼と柊」という絵では、柊を咥えたネズミが鬼を追いつめて、鬼が柱にしがみついておびえる姿を描いている。鬼殺隊に教えてあげたいぐらいだが、血鬼術を使うようになったらさすがに、藤の花でないと無力か・・・。

●大津絵の発祥
滋賀県大津市。江戸時代は東海道の宿場町として栄えた町である。戦国時代は明智光秀が坂本城を作り、関ケ原の戦いの後、膳所城ができた町である。以降、物資の輸送路としての琵琶湖水運業が盛え、東海道の整備と併せて町自体が発展していった。
大津絵とは、江戸時代にこの近江の国・大津宿で売られていた絵ということになる。元々の発祥の土地は隣国・山城国との境に近い大谷町や追分町という場所である。しがって、大津絵は大谷絵または追分絵と呼ばれることがあるようである。
いわゆる民芸としての簡素な絵であったが、商材としてしまうところが、近江商人らしい。自国の産品を商うことが少なく、地方に商いとして出かけていく商人が多い中で、旅人への大津での土産品として育っていったのが、大津絵ということになる。

●大津絵で描かれたもの
江戸時代・中~後期にかけて「大津絵十題」という、種類が主流となっていった。題材と意図するものは下記のとおりである。
1.寿老人(外法と大黒の梯子剃り)長命を保ち百事如意
2.雷公の太鼓釣り 雷除け
3.鷹匠 利益を収め失物手に入る
4.藤娘 愛嬌加わり良縁を得る
5.座頭 倒れぬ符
6.鬼の寒念仏 小児の夜泣きを止め悪魔を払う
7.瓢箪鯰 諸事円満に解決し水魚の交わりを結ぶ
8.槍持奴 一路平安道中安全
9.釣鐘弁慶 身体剛健にして大金を持つ
10.矢の根 目的貫徹思い事叶う
内容を見ると、戒めたったり、教訓だったりなどで、教えとしての役割があるようである。「6.鬼の寒念仏」は、僧の衣装をしている鬼だが、実は僧侶であっても鬼のような心が生じることがある、という人の心の恐ろしさを説いているらしい。現代にも通じ、最近の事件を彷彿させる絵でもある。しかしながら、特に東海道を旅する者にとって、心もとない旅の御守りとしての役割でもあったようで、実際に買われていた大津絵が日本各地に残っている。また、何より大津絵は軽いというのがお土産としてもぴったりであった。

 

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