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ヒツミ候也 ヘウケモノ也 織部とは/古田織部・黒織部・織部黒・鳴海織部

●桃山のニューカマー
茶人・神谷宗湛の日記・慶長4年2月28日付けに記されたある茶碗の記述がある。
「一ウス茶ノ時ハ セト茶碗 ヒツミ候也 ヘウケモノ也」
一つは、瀬戸の茶碗であること、二つ目は歪んでいること、三つ目はひょうきん・滑稽であること、の意味がある。これは文書で記された最初の織部茶碗であるという。
慶長4年とは1599年であり、豊臣秀吉が前年に逝去し、世はまさに豊臣家から徳川家と傾きかけた年である。
実際にはこれより先にこうした織部焼は始まっていたようであるが、茶会という畏まった場所で使われ始めたのは、これが最初と見てよいだろう。「瀬戸茶碗」との記述があるが、織部焼は美濃で焼かれたものであり、当時は瀬戸地方と美濃地方の区分がされておらず、それ以前の代表的産地の瀬戸という名称が使われていた。

●ブーム到来!
1591年に千利休は自刃させられている。利休の後継者として、秀吉から茶道のトツプとして指名された古田織部は新たな茶道を創り出すことに努めた。その一つが織部焼である。
1585年、茶道に邁進する織部は茶道具の改革に挑んだ。その中でも、陶器はその中心として、独自のものを模索し始めている。そのため代表的な陶工十名を「織部十作」として選抜し、協力を得ている。
この頃、唐津から伝えられた登窯が元屋敷窯を始めとして、美濃地方に多数築かれて生産効率が上がっている。織部焼の緑は酸化焼成ができる登窯が適しており、穴窯ではきれいな緑色がでにくい。こうした焼成技術をベースに織部と美濃焼陶工の創意工夫があいまって多様な織部焼が創作された。
1989年に京都市・三条の中之町の発掘現場から織部焼を含む大量の美濃焼が発掘された。出てくるもののは織部焼を含む美濃陶が多くあり、ここにかつて在った店舗から美濃地方へ発注され、納品されていた証拠である。
茶陶において、織部焼が最大のブームとなったのは1605年くらいから1615年くらいと言われているが、1615年の古田織部の自刃により、そのブームは終焉を迎える。質実剛健とする徳川家康の意向として合わず、織部焼の製造・使用は禁止されていったかもしれない。織部の死以後、武家大名の茶道は、小堀遠州により「きれいさび」へと舵が切られていく。

●古田織部とは
2005年から2017年まで「へうげもの」という漫画が山田芳裕によって発表されていた。NHKで一部放映されていたので記憶にある方もおられるとは思うが、これはまさしく古田織部の半生を描いたものである。史実に基づいた部分もあるが、大部分は創作であり、これをもって織部の人物を語ることはできないが、編集子も楽しんで読ませてもらった。
織部は1543年、美濃国の国に生まれている。幼くして養子にだされたが、武家として織田信長、豊臣秀吉に仕え、出世していく。秀吉が関白となった際に、それまでの功勲として「従五位下織部助」と任ぜられて、以降「織部」または略して「古織」と呼ばれる。この間、千利休に知遇を得て、茶道に邁進する。織部は、利休の死後、「人と違うことをせよ」という教えを実践し、独自の茶道を集大成していった。しかし、豊臣氏滅亡後、1615年、豊臣家に内通していたとの疑いを掛けられ、自刃している。享年73歳であった。

●織部焼と織部の茶道
一般的に、緑色に発色する銅を含んだ釉薬を織部と呼んでいる。しかし、織部焼以前に誕生した鉄釉・黒釉を使用した陶器に織部黒・黒織部と呼ばれる作品がある。前者は全体に黒釉が掛けられたものである。後者は一部分素地を残して黒釉を掛け、素地に鉄絵を施したものである。鳴海織部は白土素地に赤土を化粧掛して模様を描き、白土部分に織部釉を掛けたものである。その他、全体に織部釉を掛けた青織部、赤土を使用した赤織部、織部風の模様を施した透明釉の志野織部などバリエーションが多い。
これらの形状も実に多様であり、茶碗では沓茶碗と呼ばれる大きく歪んだ、まさに「ヘウケモノ」にふさわしい作品が多い。また、向付でも木型を使った様々な形状が生まれ、丈のある高台を付けたものや透かし彫りを入れたものなど、今見ても斬新でモダンな作品が多く生まれた。
大きく開いた井戸茶碗を十字形に割り、断面を少し削って貼り合わせ、深い井戸茶碗がある。これは織部が職人に加工させた茶碗であり、織部自身は大胆な茶道への取り組みも率先して行っていたようである。
さらには、こうして自ら制作に関わった陶器以外に、茶道具の目利きとしても評価されており、後に「破れ袋」と呼ばれる伊賀水指には、推薦状を書いて所持を勧めていた記録がある。
先に述べたように、織部自身は自刃させられ、一族も断絶している。合わせて、織部焼も徳川家により抹殺されて、時代の闇に一時は放り込まれた。
しかし、20世紀以降、織部焼は見事に復活し、古田織部の再評価によって、輝きを取り戻しているのは喜ばしい限りである。

 

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