堀川国広(ほりかわ くにひろ)作品の買取
作品カテゴリー
武具
堀川国広(ほりかわ くにひろ)の生涯・功績
堀川国広は江戸時代後期の刀匠です。堀川国広は豊臣秀吉による小田原征伐に際し、
長尾顕長の依頼により「九州日向住国広作」と銘を切った太刀を鍛えています。
これが、後世に「山姥切国広」(やまんばぎりくにひろ)と呼ばれる名刀を製作した有名な刀匠です。
【年譜】
1531年-1614年
安土桃山時代の刀工。新刀初期の大勢力、堀川派の祖。
本名は田中国広、京の一条堀川に居を構えたのち、堀川国広と呼ばれるようになる。
享禄4年(1531年)、日向国綾にて誕生。
はじめ日向国の戦国大名・伊東氏に仕えたが、天正5年(1577年)、主家が没落後、山伏修行など諸国放浪して刀工をつづけた。
天正18年(1590年)、下野国(現・栃木県)の足利学校で、当主の長尾顕長のために鍛刀。
慶長4年(1599年)頃から京堀川一条に定住。 現存する作品は、古くは天正4年(1576年)、伊東家ゆかりの人物の注文打ちが残される。
天正12年(1584年)の作刀は「山伏之時打之」との銘があり、不動明王像と「武運長久」の文字、梵字を彫刻した「山伏国広」。
天正18年(1590年)庚に領主の顕長の求めに応じて打った「山姥切国広」がある。
慶長19年(1614年)4月18日、84歳で死去。法名を明海祖白。
堀川国広(ほりかわ くにひろ)の代表作
- 山姥切国広
堀川国広(ほりかわ くにひろ)の作品の魅力
刀匠とは、主に刀の刀身を作刀する職人のことを指し、刀工、刀鍛冶とも呼ばれます。
しかし、刀は刀匠だけではなく、研ぎ師や彫師など、様々な職人がかかわって作刀されるもの。
鉄師により刀の原料となる「玉鋼」(たまはがね)が作刀されると、刀匠の出番となります。
刀匠の主な仕事は玉鋼から鉄を叩き出し、刀身の形に成形をして、折れず、
曲がらない丈夫な刀身を作刀することです。
日本刀鑑賞における最大の見所は「姿」、「刃文」(はもん)、「地鉄」(じがね)の3点です。
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