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故郷忘じがたく・・・沈壽官/薩摩焼・苗代川焼

●祖先を訪ねて
1970年代に「ROOT」というテレビ番組が人気を博した。アフリカ系アメリカ人が彼の先祖を訪ねる旅とアメリカに奴隷として入国した先祖の苦難を描いた物語である。日々の生活の中で、親・祖父母などの親族の血縁を改めて考えることはないが、その脈々とした流れはすべての人に日々続いているのである。そうしたことを考えさせるドラマであった。
今年7月、一人の陶芸家が韓国に渡り、韓国・金浦にある自分の祖先の墓参をすませた、という新聞記事があった。その陶芸家は十五代沈壽官という。鹿児島県の薩摩焼窯元として代々続いている宗家である。先祖は沈壽官の墓参した韓国であり、安土桃山時代・豊臣秀吉の朝鮮出兵により、鹿児島藩主・島津義弘が韓国より連れ出した陶工である。

  

●朝鮮陶工、苦難の薩摩行
秀吉の朝鮮出兵はあっけなく幕を閉じる。それは秀吉の逝去による。秀吉死す、との情報は朝鮮側にも知れ渡り、形勢は日本側の劣勢に傾く。島津の朝鮮からの帰国は、まさに敗走であり、帰路の船は多数の矢がつきささり、ハリネズミ状態だったという。島津の船に乗せられた陶工ではあったが、この混乱のなかで島津の母船とはぐれ、東シナ海を漂流状態となり、徳川・豊臣の直接対決・関ケ原の戦いが終了した後に、鹿児島に漂着した。しかし混乱の中で、朝鮮陶工の一団の乗った船の存在は忘れ去られた。陶工たちは自分たちで生きていかねばならないと決断し、自ら工房を立て、陶土を探し、釉薬を作り、陶器を焼いた。しかし、その地の住民との争いが絶えず、さらに陸路で鹿児島の中を移動したという。その行き先が、いまも窯場として続く苗代川であった。その苗代川での生活は、貧しく苦難の生活であったが、住民との生活で争いはなかったという。その後、陶工の存在を島津が知ることになり、鹿児島城下に住まわせるよう役人に指示をしたが、陶工らは断った。その理由の一つが、苗代川の高台から東シナ海が見えることであり、まさに陶工たちの故郷である朝鮮とつながっていることを感じられるためだった。島津は役人からその話を伝え聞き、彼ら朝鮮陶工に土地・家屋を与え、保護した。そして、彼らが後に製作する白土を使用した「白薩摩」は徳川家への献上品として一役買ったのである。

●薩摩焼とは
現在の薩摩焼を細かく見ると、窯場としては先に紹介した日置市の苗代川窯、姶良市の龍門司窯、さらには鹿児島市内にも窯元がある。作品としては、黒釉を使用した伝統的な生活雑器としての「黒薩摩」、白土を使用した色絵作品「白薩摩」の二種類が主流である。ただし、白薩摩の色絵が発展したのは江戸末期である。有田の柿右衛門や色鍋島で使用されていた上絵付の技法は完成されていたが、鍋島藩独自の技法として門外不出であった。幕末に薩摩藩主は京都に上絵付の技法を学ばせるために陶工を派遣し、その技術をもとに色絵陶器である現在の白薩摩を完成させた。そして対外貿易で資金を得て、最終時には軍備に投資することができた。この中心にいたのが沈壽官の十二代当主であった。余談ではあるが、京焼に「京薩摩」という色絵陶器がある。これは薩摩焼の成功を見た京都の窯元が薩摩焼の作風をまねて制作したものであり、こちらも輸出用陶器として対外貿易に貢献している。

●十四代沈壽官
1968年に執筆された司馬遼太郎「故郷忘れじがたく候」はルポルタージュではないが実際に司馬自身が取材した史実に基づいた小説である。その主人公は十四代沈壽官、1925年生まれの先代当主である。日韓の文化交流に尽力し、2019年に亡くなった陶芸家である。冒頭の章で、十五代墓参の新聞記事を紹介したが、十四代も韓国に渡り先祖の墓参をしている。その地は、現在の金浦ではなく、まさに陶工が来日前にいたといわれる青松という土地だった。
1966年、二年前に十四代を襲名した沈壽官は韓国へ渡る。朝鮮人の血を引く沈壽官は戦後の日韓の関係に心を痛めていた。戦前の日本の韓国統治時代を終え、すでに21年が過ぎていたとはいえ、統治者日本人に対する積年の恨みは一向に消えていない時代である。ソウル大学で講演を依頼された沈壽官はこう切り出す。「あなた方が(日本が統治していた期間の)36年を言うなら、私は(初代が韓国から連れてこられて以来の)370年を言わねばならない」と述べ、日本による統治時代を振り返る後ろ向きの考えはそろそろやめないか、という提言であった。
日韓にくすぶる慰安婦や強制労働への補償の問題は今も和解の雰囲気はないが、今の日本政府には、沈壽官のように韓国民の懐に飛び込んで相手を理解し、日本への理解を促そうとする気配や政治家がなかったことが残念である。
十四代沈壽官は、1999年に長男を十五代に襲名させ、隠居の身となったが、3年前に亡くなった。沈壽官の邸宅には十四代沈壽官の時に韓国政府が任命した「大観民国名誉総領事」の看板がかかっている。